間も無く始まる模擬戦を前に、メタル・ガーディアンの食堂には、多くの人が 集まっていた。 今回の模擬戦の主役となる両陣営の者だけでなく、協力関係にある組織の人間 もまた、この模擬戦を記録、あるいは記憶しようと、続々と食堂に姿を見せる。 安全を考慮し、模擬戦を行う室内演習場は立ち入り禁止になっているため、彼 らの戦いを見るのは、大型のスクリーンを急遽備え付けたこの食堂となっている のだ。 多数の観戦者に対応するため、余計な椅子やテーブルを取り払い、両サイドに 様々な料理を並べたテーブルを配した、いわゆる立食パーティ形式に変貌した食 堂の中を忙しく動き回るのは、ソフィアを中心としたメタル・ガーディアンのス タッフ。 今回の模擬戦の提案者であり、主催するホストとしての責任を全うすべく、金 髪の副司令は各組織のメンバーへの挨拶や、料理やドリンクの確認などに目を配 り、周囲のスタッフに指示を出している。 「なあ、真島の」 「あん?」 各組織のトップのために用意された、食堂の奥に置かれた大きな革のソファー に腰掛けているのは、今回の模擬戦の原因となった二人の男。 「嫁さんにばっかり働かせてないで、お前さんもちっとは動いたらどうだい?」 日本酒の入った盃を片手に、塩のかかった焼き鳥を口に運ぶのは、高遠光次郎。 「ああいうのはソフィアに任せときゃ間違いねえよ。組織の頭ってのは、こうやっ て堂々としてんのが仕事なんだよ」 そう言ってテキーラの入ったグラスを煽りながら、タレのかかった焼き鳥に手 を伸ばすのは、真島烈。 異常なまでに発達した筋肉を持つ彼が食事をする姿は、大型の肉食恐竜を思わ せる。 「ところでよ、爺さん」 頬張った焼き鳥をテキーラで流し込んだ烈は、食堂に集まった者の様子を観察 していた光次郎へと視線を移す。 「この勝負、どうなると思う?」 「切った張ったの話ぁ、お前さんの方が専門じゃねえかよ」 そう応えながら、光次郎は人混みの中から自分の孫娘を探そうと視線を泳がせ る。 この模擬戦には何者でさえ同行出来ないため、もしこの島に来ているのなら、 マドカや他の姫の姿もここにあると考えて間違いない。 間も無く、光次郎は他の姫達と共に談笑している孫娘の姿を発見した。 その表情は普段通りの穏やかなもので、クレイオンや悠羽の事を案じている様 子は見受けられない。 少なくとも表面上は。 『クレイオンと悠羽ちゃんを戦わせるなんて、絶対ダメだよ!』 模擬戦の話を聞いた時にマドカが発した言葉が、光次郎の中で反響する。 これが意味の無い殺し合いでは無く、むしろクレイオン達にとって有益である という事を説明し、渋々ながら了承させたが、完全に納得していないのは明らか であった。 そのため、今日はこの場に来ない事も考えられたが、それは杞憂に終わったよ うである。 「そろそろ始まるな」 烈の言葉に応じるように食堂内の照明が抑えられ、大型のスクリーンに光が宿 る。 皆が食事の手を止め、注視するスクリーンに映し出されたのは、灰色一色で覆 われた広大な空間、鋼騎用の室内演習場と、その中央で向かい合う二つの巨体。 向かって右側に立つのは、白銀の騎士、アークレイオン。 向かって左側に立つのは、紅の拳闘士、聖炎凰。 両者以外の何者も存在しない空間の緊張が、スクリーンを通して食堂の者達に 伝わる。 これまで料理を口にしながら談笑していた者達の表情が、一瞬にして、実戦の それへと変貌する。 戦う者としての顔へと変わった戦士達は、一つの事実を理解する。 これが、模擬戦という名の、紛れも無い実戦である事を。 「クレイオン……悠羽ちゃん……」 緊張に包まれた食堂の中、マドカの漏らした呟きは誰の耳にも届く事は無かった。 ――これが、アークレイオン 今まで幾度となく戦闘を共にしてきた仲間の名を、悠羽は改めて胸に刻む。 鋼の身と合一した視界で捉える騎士は、こちらよりも小柄であるが、悠羽はそ れをただの情報として受け取るだけに留める。 柔道やボクシングなどが、体重によって細かいカテゴリーに分かれているのは、 戦闘において体格の差がいかに重要であるかを物語る何よりの証明である。 その点を見れば、アークレイオンに体格で勝っている聖炎凰は、それだけで大 きなアドバンテージを得ている、という事になる。 だが、悠羽はそれを決して有利だとは判断しない。 その要素は二つ。 一つは、白銀の騎士が右手に持つ一振りの長大な剣、聖剣アークキャリバー。 今回は模擬戦という事で、その刀身には鞘のような鋼の殻を被せてあるため、 本来の力を発揮できる状態ではない聖剣だが、それでも、その長さと破壊力は鋼 の身を砕くには余りある。 もう一つは、眼前の騎士そのもの。 これまでの経験と自身や、今の姿を構成する仲間に対する絶対の信頼が、騎士 の存在を、わずかな隙も無い、揺るぎないものにしている。 並の者なら対峙するだけで気圧されるであろう騎士の闘気は、鏖魔のような剥 き出しの殺意から来るものではなく、その誇りから来るのだと、悠羽はこの時、 初めて正しく思い知った。 ――これが、護るモノとしての魂のカタチ ここに赴く前、雪那から聞いた言葉が悠羽の中に甦り、彼女がこの騎士と顔を 合わせる事を避ける意味を理解する。 これまで出会った敵とは全く異なる性質の相手を前に、悠羽はゆっくりと瞼を 閉じ、静かに、深く呼吸を繰り返す。 これが模擬戦であろうと、相手が共に戦う仲間であろうと、全ては意味が無い。 自分が成すべき事は、この身に備わった技を駆使し、圧倒的な暴力で相手を屠 る事のみ。 数度の呼吸を経て瞼を開いた悠羽の胸中に、もはや雪那との会話や、今の状況 など一片も残されてはいない。 ただ戦い、勝つ。 その至極単純で純粋な思考のみを宿した悠羽は、静かに両腕を持ち上げ、構え を取る。 「いきますよ、クレイオンさん」 ――これが、聖炎凰 今まで幾度となく戦闘を共にしてきた仲間の名を、クレイオンは改めて胸に刻 む。 自分より大きな紅の機体は、それ自身は命無き鋼の巨人に過ぎないが、悠羽と いうフェンサーを得た今、その黄金の目に宿るのは紛れも無い命の輝きである。 武器を持たず、ただ自然体で立っているだけの聖炎凰は、しかしそこに隙など 無い。 下手に力を入れた状態で武器を手に迫られるより、逆に力を抜いた状態でただ 立っている事の方が遥かに恐ろしい時があると、騎士はこれまでの経験と本能で 知り尽くしている。 紅の巨人が、今の状態から戦闘行動に移るまでに要する時間は、ほぼゼロに等 しい。 それだけに、彼女がいつ行動に移るのかを常に注視しなければならないクレイ オンは、ただ向き合っているだけで多大な精神力を消耗してしまう。 ならば先手を取るか、と思考するクレイオンは、その選択肢も決して好手では ないと思い直す。 今の間合いは、手足しか武器の無い聖炎凰にとっては遠すぎ、アークキャリバー を持つ自身にとっては決して遠いものではない。 だが、そこで安直に攻撃を仕掛けては、相手の思う壺である。 脱力し、自然体で立つあの姿は、防御においてこそ真価を発揮するのだと、ク レイオンは感じ取っていた。 無駄な力を入れていないがゆえに、前後左右を自在に動くのに適している聖炎 凰に対して、先手を取る事は相手にカウンターの機会を与えているに等しい。 無論、相手の回避技術を上回る攻撃を繰り出す事が出来れば何の問題も無いが、 それを実際に試すにはあまりにもリスクが大きい。 格闘術を用いる聖炎凰がこちらの剣をかいくぐり、懐に潜り込むような事にな れば、勝負の趨勢はほぼ決したといってもいい。 その長大さゆえに、格闘戦の間合いで扱い難いアークキャリバーは無用の長物 に成り下がり、聖剣を捨てた素手での勝負に持ち込めば、彼女との技量差は明ら かである。 結果、こちらから動かず、相手との距離を保ちながら戦う事が最良という結論 に落ち着いたクレイオンは、聖剣を持つ右手に力を込め、聖炎凰を見上げる。 これから戦うの相手が、仲間であり、自らが護る姫の友人という事実はクレイ オンの意志を鈍らせるには及ばない。 むしろ、ギルナイツの暗黒騎士とは全く違う戦闘スタイルを有する相手を前に 自分はどういう戦い方をすればいいか、それを確かめる良い機会である、という 意識の方が強い。 様々な魔の手から姫を護り抜くために、自分はどんな相手にも勝利を得なけれ ばならない。 今回の模擬戦は、ただ経験を積むだけに終わらず、必ず勝利する。 決意を改めて強固にしたクレイオンは、眼前の相手に、先日遭遇した黒衣の男 を重ねる。 あの男との再会は、確実に闘争を伴ったものになる。 その時に備えるためにも、今回の悠羽との模擬戦は重要な意味を持つ。 「いきますよ、クレイオンさん」 両腕を静かに持ち上げ、構えを取った聖炎凰から聞こえるのは、静かな中に確 かな闘志を秘めた、静かな声。 ――この感覚は 普段の彼女とは遠い、静かに沈んだ声に秘められた闘志、その根底を成してい る感情に気付いたクレイオンの身に、思わず力がこもる。 それは、今まで行ってきた命がけの実戦の中で、幾度と無く向けられてきた感 情。 闘争という場において、最も一般的で強固なその感情の名を、クレイオンは知っ ている。 それは、 ――なんという鋭い殺意だ 模擬戦とはいえ、手を抜くつもりは毛頭無い。 だが、ここまで明確な殺意を向けられるとは、全くの予想外であった。 彼女は確実に、こちらを殺すつもりで挑んでくる。 「ああ」 短く応えつつ、クレイオンは聖剣を両手で握る。 場合によっては、最悪の事態も起こり得る事も覚悟しなくてはならない。 「負けはしない、絶対に」 腕を持ち上げ、構えを取る聖炎凰と、聖剣を両腕で握るアークレイオン。 戦闘体勢に移行した両者の対峙は一瞬。 先に動いたのは、紅の影。 「っ!」 悠羽の鋭い呼気の爆発と共に加速する聖炎凰の軌道は正面。 紅の疾風となった聖炎凰が右脚で蹴りを繰り出そうとするよりも早く、白銀の 騎士は聖剣を下げ、逆袈裟の形で切り上げる。 眼下から跳ね上がる聖剣を前に攻撃を中断した聖炎凰は、上体を反らす事で斬 撃を回避し、返す刀で迫り来る聖剣の追撃を後方に跳躍して回避。 直後、後方へと着地した聖炎凰を追撃すべく、白銀の騎士が動く。 聖剣の存在により、小柄ながらもリーチで勝るアークレイオンは、その利を最 大限に活かすべく、聖炎凰の間合いの外から斬撃を繰り出す。 斬撃の間に生まれる隙を限界まで小さくしながら迫り来る刃の嵐を、後方へ下 がりながら、体捌きのみで回避していく聖炎凰。 完全に回避できなかったいくつかの斬撃が紅の機体を掠め、装甲を削る。 決して隙を見せぬよう、軌道とタイミングに細心の注意を払いながら剣を振り 続けるアークレイオンは、未だ攻撃の機を見つけられず、防戦一方になっている 聖炎凰の目に意識を向ける。 完全な機械である聖炎凰の目は、所詮は搭乗者に視覚を与えるための人工物、 カメラに過ぎない。 だが、命を吹き込まれた鋼騎の目には、確実に月守悠羽というフェンサーの意 志が宿っている。 人工物特有の、無機質な輝きを放つ聖炎凰の頭部カメラから読み取れる感情は、 ――何を、狙っている こちらの斬撃を耐え続ける聖炎凰は、決してただ守っている訳ではないと、そ う理解したアークレイオンは、そこから更に彼女の意図を読み取ろうと、ほんの 一瞬だけ、自身の意識を聖剣と聖炎凰から引き離す。 相手の間合いの外から攻撃を繰り返す自身と、それを紙一重で凌ぐ聖炎凰。 この構図は変わらない。 障害物の無い空間と、第三者が介入する事の無いこの戦いにおいて、彼女は何 を狙うというのか。 ――障害物の無い空間……だと 今まさに自分が分析した状況に拭いきれない違和感を抱いたアークレイオンは、 その判断こそが間違いであると即座に己の過ちを認め、訂正する。 確かに、この空間には岩や木、建造物といった障害物は何も無い。 しかし、ここは平原ではない。 広大ではあるが、壁と天井に囲まれた、あくまで室内という空間なのだ。 クレイオンがそこに思い至るのと、聖炎凰が後方へ大きく跳躍するのとは同時。 隙を見せる事も厭わない、大きな跳躍を見せた聖炎凰の向かう先は、地面では ない。 後方へ下がりながら聖剣の斬撃を回避し続けてきた聖炎凰の位置は、演習場の 壁に近い所にまで来ていた。 聖剣の軌道を眼下に、紅の機体が宙を舞う。 後方の壁を蹴り、空中で身を翻した聖炎凰は、アークレイオンの背後に着地。 この空間に宙を舞えるほどの高さがあった事と、機体を制御する悠羽の体術が 合わさって初めて成立する、曲芸じみた聖炎凰の行動に対し、既に聖剣を振り抜 いたアークレイオンの反応は、一手遅れざるを得ない。 彼女の狙いの看破が遅すぎた事を悔やむアークレイオンの背後で、紅の機体が 動き出す。 数多の斬撃を凌いだ証明である傷痕を全身に刻みながら、この機を狙い続けて きた聖炎凰の軌道は、やはり直線。 反撃へ移るため、最短の距離を最速で駆け抜ける聖炎凰は、加速の勢いを活か し、右の拳を下から突き上げる。 腹を撃ち砕かんとする一撃を、アークレイオンは聖剣の腹で受け止めるが、体 勢を整え切れていない状態での防御に、思わずたたらを踏んでしまう。 同時に、聖剣を覆っていた鋼の殻が砕け、その奥から本来の刀身が姿を覗かせ る。 かぁっ、と体内の空気を吐き出す音が、聖炎凰の外部スピーカーを通して演習 場に響き渡る。 この戦闘が始まって初めて訪れた好機を勝利へと結び付けるべく、聖炎凰は力 強い一歩を踏み込み、右脚を振り上げる。 騎士の側頭部を刈り取るべく跳ね上がる鎌のごとき右脚を、アークレイオンは 剣の柄から離した左腕で防ぐ。 「ぐ……ぅっ!」 体格で勝る相手の打撃を直接受けた左腕が悲鳴をあげ、装甲が砕ける。 蹴りの衝撃を殺し切れなかったアークレイオンの身体が右へと流れるタイミン グを見計らい、聖炎凰は左脚を振り上げ、爪先で騎士の右手を下から強打。 下からの打撃を受け、意図せず腕ごと振り上げられる形となった右手は、今の 蹴りで握力を一時的に失い、聖剣を宙へと放り投げてしまう。 鋼の殻を捨て去り、主に見捨てられた聖剣が地面に突き刺さるよりも早く、聖 炎凰は一連の攻撃を完成させる、最後の一手に踏み切る。 左腕にダメージを負い、武器を失ったアークレイオンが体勢を整える隙を与え ず、聖炎凰は右手で騎士の顔面を掴み、そのまま強引に地面へと押し倒す。 そして、地面の一部を砕き、陥没させて地面に仰向けになったアークレイオン の上に、聖炎凰が馬乗りの状態で跨る。 「初めに言っておきます」 総合格闘技などで見られる、いわゆるマウントポジションの体勢となった聖炎 凰の黄金の目が、騎士を見下ろす。 「降参して下さい。この体勢がどういう状態か、分かるはずです」 長い防御から一転し、攻勢から絶対的有利な体勢を構築した聖炎凰から告げら れたのは、確かな圧力を持った勧告であった。 聖炎凰とクレイオンが模擬戦を繰り広げている頃、悠羽の私室でベッドの上に 座る雪那は、部屋に備え付けられているテレビを通して、その様子を余す所なく、 つぶさに観察していた。 口を歓喜と狂喜に彩られた、三日月形に歪ませながら。 もはや隠す必要の無い、破壊者としての本能を剥き出しにした笑みを浮かべな がら、血の色をした瞳は、ただ真っ直ぐにテレビを見据える。 紅の視線の先には、壁を蹴り、アークレイオンの背後へと着地した聖炎凰が攻 勢に移る様子が映し出されている。 ――ああ 聖炎凰の拳が聖剣を捉える光景を見る雪那の視界が、赤く歪む。 ――やっぱり、ここにいて良かった 内側から沸き上がる衝動が肥大していくのを抑えられない、正確には抑えよう とはしない雪那は、左右の手でシーツを強く握る。 聖炎凰の蹴りがアークレイオンの左腕に命中する。 ――護るモノと一緒にいる時に、こんな闘争を見てたら 流れるような動きの連続に、聖剣が宙を舞う。 ――この島にいる者を、鏖にしたくなる 兵器として異常発達した闘争本能と破壊衝動を過剰に刺激された雪那は、ゆっ くりと持ち上げた左手から黒の炎を生み出し、ベッドから立ち上がる。 夜の闇を燃やしているかのような黒の炎を見る雪那の笑みが、より一層歪む。 『降参して下さい。この体勢がどういう状態か、分かるはずです』 テレビから、マウントポジションを取った悠羽の声が聞こえる。 「違うよ悠羽。闘争に、降参なんて言葉は必要ない」 ベッドから立ち上がり、届くはずの無い声を投げかけた雪那は、自分を昂ぶら せている元凶である、テレビの元へと歩み寄る。 「闘争に必要なのは」 瞬間、黒の炎を宿した雪那の左手が、神速で振り下ろされる。 「快楽と破壊、だよ」 黒の炎を浴びたテレビが灰さえも残らずに焼滅するよりも早く、雪那は踵を返 し、再びベッドへと向かう。 「確か、クレイオン……って言ったっけ、あの騎士」 テレビを破壊した事で多少は落ち着いたのか、先ほどよりも幾分か穏やかな表 情になった雪那は、シーツに潜りながら、その名を呟く。 「いつかアタシと戦う機会があるといいなぁ」 身を丸め、瞼を閉じた雪那は、閉じた視界の中、誰にも聞かれる事の無い言葉 を漏らす。 「模擬戦なんてつまらないものじゃない、ただ純粋な闘争が出来る機会が、さ」 『降参して下さい。この体勢がどういう状態か、分かるはずです』 スクリーンから響く悠羽の声が、食堂内に反響する。 「……こりゃ、決まったかな」 アークレイオンに跨る聖炎凰を見る烈は率直な感想を口に出し、本日何杯目に なるか分からないテキーラを飲み干す。 隣に座る光次郎もまた思う所は同じであり、苦々しい表情を浮かべたまま、無 言で煙草に火を点ける。 この食堂で模擬戦の行方を見守る者の中で、格闘技の経験が全く無いものは少 なくないが、誰が見ても、上に位置する聖炎凰の圧倒的な有利である事は疑いよ うがない。 それは、スクリーンを凝視する三人の少女達にとっても同じ事であった。 「ねえ、これってクレイオンがヤバいんじゃないの?」 「非常に厳しい状況、ですね」 険しい顔でスクリーンを見ながら言葉を交わすのは、松前アスミと白川志穂。 ブレイブナイツを構成するグランナイツとエールナイツを統べる二人の姫は、 示し合わせたようなタイミングで、もう一人の姫、高遠マドカを見る。 自分の騎士が参加していない二人とは違い、クレイオンに守護され、彼と共に 今日まで戦ってきたマドカは、大きな瞳に涙を湛え、でスクリーンに映る白銀の 騎士を見つめている。 だが、溢れんばかりの涙を見せる彼女の表情は、決して弱々しいものではない。 口を強く結び、涙の奥で輝く強い意志のこもった瞳で騎士を見るその姿は、彼 の勝利を信じ、声にならない祈りを捧ているようにも思える。 親友の強さの一端を垣間見た二人の姫は、互いに顔を見合わせて小さく頷き、 マドカの祈りが届くよう、再びスクリーンに視線を戻した。 上から降り注ぐ、降伏勧告というべき悠羽の言葉を聞いたアークレイオンだが、 その胸の中に、降伏を是とする気持など微塵も存在していない。 返事の代わりに、自分に跨る紅の機体を見上げながら、アークレイオンは自身 の置かれた状況を再確認する。 胸の上に跨られ、上体を動かす事が出来ないのは言うまでも無い。 手足の自由は確保されているが、力の入らない姿勢で放つ打撃が、果たしてど れ程の効果があるというのか。 「もう一度言います。今すぐ降参して下さい」 騎士の長い無言を責めるように、頭上から再び殺意を帯びた冷たい声が浴びせ られる。 即座に攻撃せず、二度に渡り降伏を勧めたのは、彼女の中に一片だけ残された、 仲間を気遣う心のためか。 しかし、組み伏せられた騎士は、やはり無言を貫く。 いかに模擬戦とはいえ、降参して身の安全を確保するくらいなら、どれだけ不 利な状況にあろうとも、死中に活を見出す。 それが、彼の持つ、騎士としての誇りである。 「……そうですか」 自分を見上げる騎士の目に宿る意志を確認した悠羽は、これ以上の言葉を諦め、 短く息を吐く。 そして、鉄槌のごとき右の拳を、勢いよく真下へ振り下ろす。 上からの一撃を両腕で防ごうとするアークレイオンだが、聖炎凰の拳はそれを かいくぐり、騎士の頭部を直撃する。 「ぐっっ!」 頭部を揺るがす衝撃に、騎士の視界が歪む。 聖炎凰の無慈悲な鉄槌は止まらない。 左右の拳を交互に振り下ろし、必死に防御するアークレイオンの腕や頭部に、 執拗なまでの殴打を重ねていく。 ――何か手は無いか…… 頭上から降り注ぐ打撃の雨に晒されながらも、闘志に一切の衰えを見せないアー クレイオンは、この状況を打開するための手段を模索する。 だが、この状況でまともな思考が出来るはずも無く、そんな騎士を嘲笑うかの ように、銀の装甲が破片となって周囲に舞い落ちる。 このままでは、もうじき腕が使い物にならなくなる。 そうなれば文字通り反撃の手を失い、いよいよ勝負は絶望的なものとなってし まう。 ――だが、どうすれば リミットが間近に迫った状況下で、アークレイオンは必死に思考するが、やは り、答えは見つけられない。 その時、騎士の耳に届いたのは、 『クレイオン!』 この場にいるはずの無い、姫の声。 「ひ、姫……!?」 『負けないで! クレイオンなら、きっと勝てるよ!』 それは、騎士の幻想か。 それとも、彼女の祈りが通じたのか。 その因がどちらであったにせよ、姫の声は、騎士の胸に確かに刻まれた。 ――そうだ。姫のためにも、私は負けられない! 決意と閃き、そして行動は瞬間の流れで行われた。 打撃の連続を回避するため、アークレイオンが行ったのは、分離による回避。 「! しまっ……!」 アークレイオンが一人の騎士と二頭の馬に分かれる動きは、悠羽にとって完全 に予想外のものであった。 まさか組み伏せている相手が身体を分解させるなど思いもよらなかったため、 分離する騎士の上で体勢を崩された聖炎凰は、その場に尻餅を着く寸前で機体を 支える。 「ユニコーン! ペガサス!」 聖炎凰の下から完全に脱出したクレイオンは、二頭の相棒を再び呼び寄せ、瞬 時の内に合体を完了させる。 頭部と両腕の損傷が激しいものの、未だ力強い輝きが色褪せない白銀の騎士は、 地面に刺さった聖剣を手に納め、一拍遅れて立ち上がった聖炎凰へと迫る。 「おおお!」 姫への想いを胸に白銀の騎士が振るった一刀は光の軌跡を描き、聖炎凰の左腕 を肩から切断する。 「……まだです!」 左腕を失いながらも姿勢を崩さない聖炎凰は、続いて上から右腕を切り落とさ んとする聖剣の軌道に対し、後退では無く前進を選択。 結果、右肩に刀身が食い込むが、肉迫した状態での斬撃は切断には至らず、聖 剣の動きが止まる。 切断こそ免れたものの、既に機能を失った右腕を力無く下げた聖炎凰は、右膝 を突き上げ、騎士の脇腹を抉る。 脇腹への打撃で吹き飛ばされそうになるアークレイオンは、その勢いを逆に利 用して聖剣を引き抜く。 「これで!」 「終わりだ!」 吹き飛んだ騎士を追撃し、止めの一撃を放とうとする悠羽と、聖剣を手に、最 後の一撃を振るおうとするクレイオンの咆哮が重なる。 直後、鋼の巨体がぶつかる激しい衝突音が、演習場を揺るがす。 互いに死力を振り絞って放った一撃の結末は、 「っ……ぅ!」 首から胸部にかけてを右側から聖剣で切り裂かれた聖炎凰と、 「ぬぅっ……!」 左の脇腹から胸部にかけてを、蹴りによって引き裂かれたアークレイオンの姿 であった。 互いにこれ以上の戦闘を行えるはずの無いほどの損傷を負いながらも、両者は 動きを止めようとはしない。 聖剣を引き抜く力さえ残っていないアークレイオンは、密着した状態のまま、 右の膝を聖炎凰に叩き込む。 本来なら取るに足らない、騎士の本分とは外れた膝の一撃だが、聖炎凰はそれ を回避するために余力を使おうとはせず、騎士の膝蹴りを受けつつ、自らの頭部 を叩きつける。 その衝突により、聖炎凰のカメラとセンサーは破壊され、アークレイオンの兜 を模した装甲が砕け散り、クレイオン本来の顔が露わになる。 「はぁぁ!」 「おおお!」 五感を失った悠羽と、素顔を晒すクレイオンの魂の叫びがぶつかり、空間を震 わせる。 それは、格闘戦と呼ぶには余りにも醜く、しかし純粋な、技術とは関係の無い、 己の意地のみを頼りにした両者の魂の衝突であった。 胸部から火花を散らす聖炎凰の右脚が、アークレイオンの左の肘から先を蹴り 砕く。 死力を振り絞って握り締めたアークレイオンの拳が、損傷の激しい聖炎凰の胸 部を撃ち砕く。 一撃を受け、与える度に、よろめき、後退しながらも、決して倒れない二人の 戦士はすぐに一歩を踏み出し、己の魂を乗せた打撃をぶつける。 本来なら、こうなる前に中断の指示が出るべきであったのだが、この戦いを見 守る者から、戦いを止める声は発せられない。 ただの模擬戦という枠を超えてしまった戦闘に対し、第三者が介入できる余地 など、どこにも残されていないために。 「あああああ!!」 破壊された外部スピーカーからノイズ混じりの絶叫が反響する。 「おおおおお!!」 クレイオンもまた、胸の内に秘めた、騎士としての矜持と姫への思いを燃焼さ せた咆哮で応える。 これが、紅と白銀、異なる二つの色に身を包んだ二人の勇者が交わす、最後の 一撃。 聖炎凰は右脚を。 アークレイオンは右の拳を。 同時に繰り出した先にあるのは、胸部、その中でも心臓に位置する箇所。 互いの狙いが重なったのは、人体の急所を知り尽くしている戦士である二人の 無意識下によるものか。 そして、互いの狙いは寸分違わず果たされた。 紅と銀の装甲を撒き散らし、最後の力を失った両者は同時に膝を着き、演習場 の地面に倒れ込む。 糸の切れた人形のように崩れ落ちた勇者達の空間から、殺意や闘気が霧消して いき、ただ静寂だけが残される。 この静寂が、月守悠羽とクレイオンの模擬戦の終了を物語っていた。 模擬戦の後、目を覚ました月守悠羽が最初に見たのは、自室の天井と、 「あ、やっと起きた。丸一日寝てたね」 自分を真上から覗きこむ紅の瞳であった。 「雪那……さん?」 朦朧とした意識の中、悠羽は紅の瞳を持つ女性の名を口にし、その顔に触れよ うと右腕を上に伸ばそうとした瞬間、 「……痛っ!」 右腕から全身を駆け巡る痛みに眉をしかめる。 「駄目駄目。全身傷だらけなんだから、動かないで」 「傷、だらけ?」 言われ、改めて自身の身体を確認した悠羽は、身体の至る所に包帯が巻かれて いる事に気付く。 「装甲の破片が刺さってたんだって。胸の装甲がボロボロにされてたみたいだし、 危ない所だったね。まあ、顔に傷が無かったのはラッキーだったかな」 「それで……勝負は? どうなりましたか?」 シーツに潜り込み、悠羽の横に寄り添う雪那は、その問いに意地の悪い笑みで 返す。 「さて、どうなったと思う?」 「と、言われましても」 悠羽は戦闘の記憶を辿るが、最後の瞬間の記憶が、どうしても思い出す事が出 来ない。 ――最後はクレイオンさんと殴り合いになって…… 記憶があるのはそこまでであった。 「引き分けだって」 記憶の糸を懸命に辿ろうとする悠羽に、雪那の声が重なる。 「そう、ですか」 雪那の回答を聞いた悠羽は、大きな吐息を漏らす。 それは、負けなかった事による安堵と、勝てなかった事による無念が織り交ぜ られた吐息であった。 「どうだった? クレイオンってのは」 傷口を包むように身体を密着させた雪那の瞳が、悠羽を覗き込む。 「とても強い方でした。あれが、雪那さんの言っていた『護るモノの魂』なんで すね」 「そういう事。よく頑張ったね」 お疲れ様、と悠羽の頭を撫でる雪那は、そのまま彼女の身体を抱き寄せ、唇を 奪う。 「勝てなかったけど負けなかったし、少しだけご褒美」 「ん……ふぁぁ」 不意に唇を奪われて驚く悠羽だが、それよりも疲労の方が勝り、大きな欠伸を してしまう。 「ふふっ、まだ眠たそうだね。それじゃ、一緒に寝ようか」 「あの……このままでも、いいですか?」 「しょうがないなあ。これもご褒美って事にしよっか」 あれだけの戦闘を繰り広げたとは思えない、子犬のような目で懇願する悠羽に、 雪那は苦笑しながら了承し、背中に回した両腕の力を少しだけ強くする。 そして、二人は抱き合ったまま眠りに落ちる。 互いの体温、その奥から感じる魂の鼓動さえも心地良く想いながら。 「もう、ホントに心配したんだから!」 模擬戦の翌日、学校から帰って来たマドカは、自宅のガレージに停まる銀のス ポーツカー、クレイオンの姿を見るなり、感情を爆発させた。 「悠羽ちゃんは怪我したみたいだし、もうあんな事許さないからね!」 ボンネットを叩き、フロントガラスに迫りながら声を荒げるマドカは、ここぞ とばかりに、次々とクレイオンをまくしたてる。 今回の模擬戦だけに留まらず、常日頃から抱いている諸々の不満をぶちまける マドカの姿を、しかしクレイオンは決して迷惑には感じない。 むしろ、こうやって感情の赴くまま行動するマドカが今日も自分の側にいる、 その事が何よりも嬉しい。 彼女を護る事、それこそが自分が生きる意味なのだから。 死力を尽くした戦いの後だからこそ、それを強く感じる。 「クレイオン!」 「……申し訳ありません」 喜びに満たされた内心を感じ取ったのか、マドカの声に含まれる批難の色が強 くなる。 「だから、クレイオンはいつも――」 マドカの小言は、まだ終わりそうにない。 彼女の一言一言が自分を心配してのものだという事は、重々に承知している。 それだけ自分が姫に想われているのだという事実も、騎士の胸を満たすには十 分すぎるものであった。 『あの姫が人間に無惨な殺され方をした時、お前は人間を鏖にする』 両手を大きく動かし、感情を表現するマドカを見るクレイオンの脳裏に浮かん だのは、あの日であった黒衣の男の言葉。 あの発言の裏に、どういう狙いがあるのかは分からない。 だが、何があろうと、彼女は自分の手で守って見せる。 その決意だけは揺らぐ事は無い。 「クレイオンってば!」 「……申し訳ありません」 ボンネットを何度も叩くマドカの姿を焼き付けながら、クレイオンは平和な時 間を享受する。 いつか来るであろう、更なる脅威に立ち向かうために。 激突! 焼き鳥大決戦!(後編)