身体の隅々に気を届かせるよう、深く息を吸う。 体内の古い空気を押し出すよう、深く息を吐く。 それを繰り返し、肉体と精神を極限まで研ぎ澄ませる。 『我を前に何をするかと思えば、ただ呼吸をするだけか』 針よりも細く、刃よりも鋭くなった感覚は、眼前の相手が身に着けている赤い紬の細か な模様までもを残さず捉える。 服だけでは無い。 至高の硝子細工よりも美しく整った透き通るような美貌と、その中で燃えるように輝く 紅の瞳、全ての色を否定して輝く純白の髪。 『これが神髄だ』 短い返事の中、全身に込める力を最低限にまで緩める。 戦闘に余計な力は必要無い。 必要なのは、規則正しい呼吸のリズムと、一瞬で相手を破壊するための瞬発力、そして、 それを可能にするための集中力。 『まだ極め尽くせぬ身だが、深淵の片鱗を見せてやる事くらいは出来る。真島流破鋼拳、 その目に焼き付けて死ね』 『人間風情が我に、皇魔に向かって戯言を』 殺風景な室内にそぐわない豪奢な玉座に腰掛けたまま、白髪の皇魔は嘲笑を浮かべる。 『すぐに笑えなくしてやる』 研ぎ澄まされた精神の奥底から噴出する、際限の無い殺気は、もはや何をしようと抑え る事が出来ない。 もとより、抑える気も無ければ、抑える方法も知らない。 彼女を失った、この渇きにも似た絶望は、この世の全てを喰らい尽くしてもなお、癒え る事はないだろう。 『あくまで我に逆らうか。それも良かろう』 己が絶対の支配者である事に何の疑いを持たない、自身に満ちた言葉と共に、皇魔が立 ち上がる。 その紅の瞳に殺意の炎を燃やしながら。 『来い、人間。お前の短い生に、我が最後の楔を打ち込んでくれる』 『お前の死が、俺の復讐への第一歩だ』 言葉と同時に、最速の一撃で相手を葬るべく、爪先で地を弾く。 それに呼応するように、段上の皇魔も、瞬時に動きを加速させる。 それが、人間として行った、最後の戦いの始まりだった。 そこで、凌牙は目を覚ました。 覚醒した視界が映すのは、五年前の風景ではなく、王族が使用するような装飾が施され たベッドの天蓋。 宗教画にも似た、色彩豊かな絵画が描かれた天蓋を何気なく見つめる凌牙は、ここがか つての自室では無いと改めて再確認する。 「構わん、入れ」 一切の無駄を排して鍛えられた上半身を曝け出してベッドに横たわったまま、凌牙は自 身の目覚めの原因となった来訪者へと声をかける。 「失礼します」 主の許可を得たためか、躊躇いの無い声と共に室内に足を踏み入れたのは、白のスーツ を着た中性的な容姿を持つ鏖魔、斬華であった。 斬華の来訪に対し、まるで動こうとしない凌牙に何の感情も抱かず、斬華はベッドの上 に身体を投げ出す王に歩み寄り、機械的な動作で頭を下げる。 「お休みを妨げてしまい、申し訳ございません」 「気にする必要は無い」 感情の見えない謝罪の言葉に、凌牙もまた感情の無い言葉で返し、身を起こす。 「何の用だ」 「戯弾様が悠羽様と戦うために、あの島に向かわれる事を知らせに参りました」 まるで機械の音声案内のような、感情の無い言葉で伝えられた用件に、凌牙は戯弾の姿 を思い返すのと同時に、一つの疑問を抱く。 「随分と時間がかかったな。以前、終破からもうじき出る、と聞いてから、かなり経って いるぞ」 「凌牙様は、そう思われますか」 今までとは違い、声と表情に濃い疑問の色を乗せた斬華は、主の疑問が理解出来ない、 とばかりに視線を投げかける。 「……なるほどな。俺とお前達では基準が違う、という事か」 そう応えながら、凌牙は彼女がなぜこのような疑問を抱くのか、その原因に気付く。 人間と違い、老いる事の無い肉体を与えられた鏖魔にとって、時間という概念は、それ ほど意味を持たない、という事実に。 人間に限らず、全ての生物は時間に支配されている。 個体によって長さに差はあれど、生まれてから死ぬまでの期間が有限である事に変わり は無い。 そのため、生物は時間に追われるように生き、繁殖活動を最大の使命として活動する。 時間とは、すなわち死へのタイムリミットであるという事が本能に刻まれているために。 特に、複雑な文明と社会を構築する人間にとって、時間は絶対的な支配者である。 ある時期が来れば学校に通い、ある時期が来れば卒業し、就職する、といった具合に、 人間の人生は、スケジュール通りに行われる式典のように時間で区切られている。 学校に通わず、特殊な環境で育った自身も例外では無く、鏖魔の再度の襲来と肉体の老 化、この二つを危惧し、時間に追われながら、真島流破鋼拳を学び、体得していった。 だが、鏖魔は違う。 明日であろうが百年後であろうが、今と変わらない自分がいる、この事実だけでも、彼 らから時間という概念を奪うには十分すぎる。 二十年前、初めて人類の前に現れた鏖魔が次に姿を見せたのは、五年前の事である。 十五年という、人間の基準で考えれば長すぎるインターバルは、人類にとって大きな疑 問であったが、鏖魔の基準で考えれば疑問にもなり得ない。 鏖魔にとって、十五年越しの襲来は、人間の感覚で例えるなら、ひと眠りして仕切り直 してきた、というくらいものでしかないのだ。 以前、終破がこの部屋を訪れたのは、およそ二週間ほど前である。 『もうしばらくすれば戯弾があの島に向かうから、その時に見てみるといいよ。君と血を 分けた者達の姿をね』 鏖魔である終破にとって、二週間という時間は、「もうしばらく」という言葉の範疇な のだろう。 「それで、だ」 ベッドの下に脱ぎ捨ててあった服を斬華から受け取った凌牙は、それを手早く身に着け ながら問う。 「お前は、戯弾と悠羽、どちらが勝つと思う」 「戯弾様に分があると判断します」 「なぜ、そう思う」 「虎強様との戦闘を見る限り、悠羽様が戯弾様を滅ぼす可能性は低いと判断しました」 「そうか」 身内を贔屓しているとは思えない、淡々とした口調で語られた斬華の予想に、凌牙はそ れが自分のものと大差ないと認識する。 凌牙は悠羽と虎強の戦闘を見ていないが、創世島で直接手合わせをした時に、妹の力量 は確認しており、戯弾の力量も、手合わせこそしていないものの、その姿を見た段階で、 ある程度の推測はついている。 それを踏まえた上での予想は、斬華と変わらないが、それはあくまで身体能力や格闘技 術の優劣での判断である。 普通の格闘家同士の試合であればそれで構わないが、悠羽と戯弾には、それぞれ常人に は備わっていない、勝負を左右する重要な要素がある。 「もし、神炎掌(しんえんしょう)が使える状態にあるとすれば、悠羽にも勝機はあるか もしれんな」 上着に袖を通した凌牙は、自身の右手と対を成す、月守の一族に伝わる特殊な力の名を 呟く。 「それは、始炎様の獄炎掌(ごくえんしょう)と同じと考えても構わないのですか」 「……似ているようで、やはり別物だろうな」 五年前、数多の鎧鏖鬼を屠った右手を軽く開閉しつつ、凌牙は妹が左手に初めて炎を宿 した時の事を思い出す。 まだ幼かった妹の掌に生まれた炎は、ライターの火と同程度ほどの力しか持っておらず、 とても必殺の破壊力と呼べるものでは無かった。 「お前達の能力がどういう原理で発現しているのかは知らんが、俺や悠羽の手に宿る力は、 鍛錬によって威力や精度が大きく変わる、一種の技術だ」 そこで言葉を止め、右手に意識を集中させた凌牙は、軽く押し出すように、正面にある、 ベッドの天蓋を支える柱に触れる。 次の瞬間、 「鍛錬次第では、こういう事も出来る」 凌牙の言葉の先にあったのは、完全に凍りついた、部屋の隅に置いてある青い壺だった。 「力を調節する事で、離れた物や、対象の一部分だけを凍らせる事が出来る。悠羽の左手、 神炎掌も、同じ事が出来ると考えてもいいだろう」 室内に冷気を撒き散らす壺に視線を送りつつ、凌牙はまだ見ぬ成長した妹の最大の力を 想像する。 月守一族がその手から生み出せる特殊な力には、定められた法則がある。 それは、男は全てを凍らせる能力である神氷掌(しんひょうしょう)、女は全てを灰に 帰す能力である神炎掌と、性別によって得られる力が決まっているのだ。 凌牙の父、角秋は男性のため、彼が手に宿していたのは氷の力であった。 そのため、凌牙は悠羽以外に神炎掌の使い手を見た事が無い。 加えて、凌牙が見た悠羽の神炎掌はまだ未熟であったため、その真価は謎に包まれてい る、といってもいい。 鍛錬を積み重ねた今、妹の左手がどれほどのものになっているのか、その完成度によっ ては、戯弾を屠る事さえ可能だろう、と凌牙は月守の血に流れる力に判断を下す。 「行くか。悠羽以外にも、確かめておきたい事もある」 ベッドから立ち上がった凌牙は、そのまま淀みの無い動きで足を動かす。 凌牙の一歩後ろを正確に付き従う斬華が、静かに主の部屋のドアを閉めた事で、凍りつ いた壺が割れる音をかすかに聞きながら、凌牙は黒刃の通路を進む。 妹の戦いと、五年前に殺し損ねた皇魔の姿を確認するために。 「空間転移反応あり! 鎧鏖鬼です!」 以前、虎強の駆る鎧鏖鬼、砕剛鬼が現れたのと同じ夕暮れ時に、オペレーターの緊張感 に満ちた報告と警報音が施設に響き渡る。 緊迫した声を追いかけるように、沈みかけた太陽を受けて輝く海面の上空に、鎧鏖鬼の 空間転移を示す黒い霧が発生し、急速に拡大していく。 それ自身が意志を持った生物であるかのように形を変化させていく黒い霧は、やがて一 つの形を生成する。 間も無く、完全に消滅し、空へと溶けた黒い霧の奥から現れたのは、蝙蝠に似た大きな 翼を持つ、銀の鎧鏖鬼であった。 聖炎凰より少し大きい程度のサイズに、極端に細い四肢を有する銀の鎧鏖鬼が、緑の目 を光らせて宙に浮かぶ姿は、ホラー映画の一場面にさえ思えるほど、違和感に満ちていた。 そして、何よりも鎧鏖鬼を怪異たらしめているのは、背の翼よりも奇怪な両腕にあった。 ヒトの身ならば、もはや生きているとは思えないほどに細く伸びた銀の機体の中、両腕 の肘から先だけが異常に長く、巨大なものになっている。 傾いた夕陽を受けて鈍く輝く銀の両腕の先にあるのは、人間を模したそれでは無い。 長く伸びた左腕の先にあるのは五指では無く、機関銃を思わせる、四つの銃口。 左腕よりも長く伸びた右腕の先に銃口は存在せず、代わりに、剣の中心だけを抜いたか のような、二股に分かれた銃身が備えられている。 「拙者の名は戯弾。鏖魔として、月守悠羽殿と死合を果たしに参った」 両腕が砲となっている銀の鎧鏖鬼から聞こえたのは、虎強と同じ、完璧な発音で放たれ た日本語であった。 「これが、創世島か」 宙に浮く銀の鎧鏖鬼、殲銃鬼(せんじゅうき)を駆る戯弾は、自身の名を告げた後、眼 下に広がる島の名を呟く。 かつて、自身が生み出された世界に滅びをもたらした時、戯弾は己と同じように創られ た、多くの鏖魔と闘争を繰り広げた。 強靭な肉体と多種多様な能力を持つ鏖魔との戦いは、戯弾の闘争本能と破壊衝動を満た すには、十分すぎるものであった。 だが、どんな形であれ、幸せというものは永遠では無い。 もとより絶対数が少なかった鏖魔との戦いは、互いの闘争本能が強すぎたために急速に 激化し、世界そのものの滅亡という形で一気に収束した。 大地が裂け、森が燃え、海が枯れた世界の果てに生き残った戯弾の胸に残ったのは、強 敵を打倒した事による達成感では無い。 満たされる事の無い闘争への欲求が果たせない戯弾には、ただ虚しさだけが残された。 満足のいく闘争が望めない状況のまま生きる事を良しとしなかった戯弾は、同じ想いを 抱いていた他の鏖魔と共に、次の相手が見つかるまでの眠りに就いた。 そして、異なる世界の片隅のあるこの島で、今また再び強敵と対する事が出来る。 「世界を滅ぼした後でさえ闘争を行えるとは、なんという僥倖か」 もはや叶わぬとさえ思った闘争の再来に、戯弾の口の端が持ち上がる。 それも、相手は一人では無い。 あの島には、皇魔の血族である月守悠羽の他に、かつての皇魔、始炎と、その鎧鏖鬼、 炎皇鬼がいる。 以前、虎強の前に現れ、一瞬にして彼を滅ぼしたその姿は、記憶の中の彼女と寸分も違 わないものであった。 本来ならば、互いの本能に組み込まれている、仲間意識にも似た安全装置のために戦闘 する事は不可能だが、虎強を葬った事実が、それが要らぬ心配だと告げてくれる。 絶対の強者であった白髪の支配者を振り返りながら、戯弾は、ほぼ完全に沈んだ太陽の、 最後の光受けて輝く殲銃鬼の翼を羽ばたかせ、島の北側に降り立つ。 長く伸びた両腕の砲身を前方の地面に着ける殲銃鬼は、二等辺三角形のような尖った頭 部を左右に動かし、虎強と砕剛鬼が散った島を見渡す。 ――虎強殿は、幸せであったな 既に回収作業を終えているため、島を見渡す視界の中に、虎強の足跡を見つける事は出 来ない。 その中で、戯弾はこの島で鏖魔としての生を終えた虎強を想う。 共に同じ皇魔の下で戦い、同じ戦艦の中で過ごした間だが、虎強との間に交流と呼べる ものはなく、同じ場で戦闘をした、という他に共通の思い出も無い。 それでも、戯弾は虎強の最期が満足のいくものだったと確信する。 鏖魔の持つ欲望、闘争本能と破壊衝動には終わりが無い。 もし、仮にこの場の全てと戦い、それらを滅ぼしたとしても、その快感は間も無く次の 闘争への欲求へと変化する。 そうして次の敵と戦い、滅ぼし、また次の敵と戦う、鏖魔は皆、このサイクルを繰り返 して生きていく。 老いの無い鏖魔にとって、このサイクルから外れる時、それは己自身の滅びの時をおい て他に無い。 敵と呼べる存在がいる間は、それでもいい。 だが、敵という存在が無くなった後、鏖魔はどうやって生きればいいのか、戯弾の中に 答えは無い。 戯弾は、自分の生まれた世界に存在する敵を全て滅ぼした後、胸の中に生まれた空白を 思い出す。 鏖魔としての生の果てにあるものが、あの虚しさだというのなら、生き残る事にどれだ けの意味があるというのか。 鏖魔として満足のいく戦いの中で命を落とした虎強の生は、敵のいない世界で生き続け る生よりも遥かに優れたものであったに違いない。 ――拙者は、この死合の後、恐らく生きてはいまい 悠羽に勝つ事は出来ても、始炎には敵わない、そう思う戯弾は、もはや帰る事が叶わな いであろう黒刃を見上げる。 ――鏖魔として魂を奮わせながら生を終える、これに何の不満があろうか 目前に迫った自身の死を悟りながらも、戯弾は口の端に浮かべた笑みを消さない。 「戯弾さん、でしたね。お待たせしました」 これから命のやり取りをする相手に告げるものとは思えない、落ち着いた丁寧な言葉と 共に、一機の鋼騎が地下から現れる。 夜の闇に抗うように輝く赤と金の装甲に彩られたその鋼騎を、戯弾は知っている。 「月守悠羽殿か、よくぞ参られた」 自身の生に終止符を打つ事になるかもしれない相手との闘争を前に、戯弾の声に確かな 愉悦が混ざる。 「さあ、存分に死合おうぞ!」 大気を震わせる咆哮と共に、両者の戦闘が始まった。 蝙蝠に似た翼を持つ銀の鎧鏖鬼を前に、聖炎凰に意識を移す悠羽は、自身の心が虎強と の戦闘時よりも落ち着いていると感じていた。 ――雪那さんとの特訓のおかげ、ですね 自身の命運を握る呼吸のリズムを意識しながら、悠羽はこの二週間で行った雪那との特 訓を思い起こす。 頭上の小石を守る特訓を基礎として、呼吸、身体の動かし方、精神集中の方法などを、 理論と実践の両面で学んだ日々は、短期間ながらも確実に効果が現れているといえる。 それが目の前の鏖魔にどれだけ通じるのかは分からないが、 ――今は、ただ戦うだけです。兄さんに追いつくためにも 自身の呼吸をより深く、より体内に行き渡らせるため、大きく息を吸い込み、吐き出し た悠羽は、改めて眼前の鎧鏖鬼を見据える。 両腕が砲という、特異な容姿を有する鎧鏖鬼との戦いは、虎強との時と同じようにはい かない。 銃を持った相手との実戦経験が無い悠羽にとって、目の前の鎧鏖鬼がどういう攻撃を行 うのか、彼女は意識を銀の両腕に集中させる。 『大丈夫。落ち着いてやれば、悠羽は負けないよ。銃弾なんて、見切ればそれまでだから』 出撃する前、口づけと共に送られた雪那の言葉が、胸に反響する。 兄と雰囲気の重なる、愛しい者の言葉は、死闘に向かう悠羽の中に力を生み出す。 「さあ、存分に死合おうぞ!」 大気を震わせる咆哮と共に、銀の鎧鏖鬼、殲銃鬼が動く。 左腕をわずかに持ち上げた殲銃鬼は、夜を引き裂くような轟音と共に、その先に備わっ た四つの銃口から銃弾を撃ち出す。 地面に向けられた四つの銃口から、見た目通りの高速で吐き出される銃弾の嵐に対し、 聖炎凰は背の翼を使って右へと飛ぶように跳躍して回避。 そのまま円の軌道を描きながら殲銃鬼の懐へと詰め寄ろうとする聖炎凰だが、止む事の 無い銃弾の嵐を生み出し続ける銀の左腕に阻まれ、後退を余儀なくされる。 銃弾を防ぐ障害物が無いため、弾切れの気配を感じさせる事の無い弾幕に晒される聖炎 凰は、一瞬たりとも止まる事を許されず、回避運動の連続を強制され続ける。 「逃げるばかりが能ではあるまい!」 聖炎凰を寄せ付けない殲銃鬼は、最初の位置からほぼ動かぬまま、銃弾を豪雨のように 生み出す左腕を動かし続ける。 創世島の地表を無残な姿に変えていく無慈悲な銃弾の嵐を、聖炎凰は左右と後ろへの動 きを巧みに使い分け、一発の被弾も無く回避し続ける。 ――今はまだ、耐える時です…… 雪那との特訓の成果が現れているのか、信じがたい量の銃弾に無手で対峙する悠羽の精 神に揺らぎは無い。 今までよりも規則正しいリズムを維持している呼吸と、それによって経験した事が無い ほどに鋭敏化された神経は、弾丸の軌道を見切るのに十分なものであった。 これが特訓ではく、命を賭した実戦である事も影響しているのであろう、鋼の身に宿っ た悠羽の意志は、自身でも驚くほどに冷えている。 しかし、冷えている魂は、決して冷めてはいない。 銃弾を避け続ける悠羽の魂は、目の前の敵を倒すという、この上なくシンプルな命題に、 かつてない熱意を傾けている。 それは、どこまでも冷たく、鋭く尖った地獄の氷と化した凌牙の魂とは異なる、炎を閉 じ込めた氷とでも言うべき、悠羽の魂のカタチである。 後方に跳躍しながら、背の翼で左へと強引に身を傾ける聖炎凰のすぐそばに銃弾が殺到 し、島の地表を抉り取る。 「なるほど、これは愉快」 長く続いた銃弾の嵐を止めた殲銃鬼は、穴だらけになった地表を挟んで、聖炎凰と向き 合う。 「さすがは皇魔の血族よ。ただの一度も当たる事が無いとは。虎強殿との戦いだけを見て 判断を下したのは、拙者の過ちであったな」 異常なまでの長時間にわたって連続で撃ち続けた左の銃身から白煙を上げる殲銃鬼を前 に、構えを解かない聖炎凰は、背の翼を冷却しながら鏖魔の言葉を無言で受け流す。 銃声が消えてもなお緊張感に満ちた空白の中、戯弾は、だが、と漏らす。 「この左腕の弾切れを狙っているのだとすれば、それは叶わぬ話だと、先に申しておく」 「やはり、そうでしたか」 常識では有り得ない言葉を前にしても、短く応える悠羽の心に波風は立たない。 戦闘が始まった時、銃を使う相手に対して弾切れを狙っていたのは紛れも無い事実であ る。 銃口を持たない右手がどういう砲なのかは分からないが、機関銃に酷似した左手は、い ずれ弾切れを起こすであろうと、そう睨んで回避を行っていた。 だが、いくら回避を重ねても弾丸の嵐は止む事無く、異常な量の弾丸を吐き出し続ける。 弾丸という物体を発射する以上、無限という単語を使うべきではないのだが、事実、眼 前の鎧鏖鬼の左腕は、その単語を体現するかのようであった。 終わりの見えない回避を続けながらも、思考は続いていた。 弾丸が有限である事に疑いはないが、その終わりが見える気配は感じられない。 それよりも、回避運動の要である背の翼や、激しい運動を続ける脚部が限界を超える方 が速い。 回避の先にあるのは絶望という状況の中でも冷静さを失わずに相手を観察した結果、打 開策の代わりに見つけたのは、一つの異変。 それは、 「左足、ですね」 「あの回避の中で気付くとは、ますます見上げたものよ」 戯弾の言葉の内容と、その中に混じる賞賛の響きが、悠羽の言葉が正解であった事を物 語る。 「この鎧鏖鬼、殲銃鬼の左足の裏には口のようなものがついており、そこから地を直接取 り込み、弾丸として発射する。故に、この大地がある限り、殲銃鬼に弾切れなど有り得ぬ 話よ。……しかし、いつ頃、これに気付かれた」 自機の機構を淡々と語る戯弾に、悠羽は鋼の指で殲銃鬼の左足を指す。 「最初から動いていないにもかかわらず、その付近だけが少し沈んでいる事に気が付きま した。途中から弾丸の質が変わった事にも。その二つを合わせて考えれば、答えは見えて きます」 「成程」 短い言葉の中に目の前の強者への敬意を込めた戯弾は、まるで威嚇するように背の翼を 大きく広げる。 「ならば、ここからは仕切り直して参ろうぞ。月守悠羽、拙者は、もはやそなたの事を一 切侮りはせん。今までに葬ってきた鏖魔と同じ、強者として相対そう」 「負けません、絶対に」 銀の鎧鏖鬼から膨れ上がる闘気と殺意に呑まれぬよう、悠羽は改めて大きな呼吸を繰り 返し、体内の気を入れ替える。 ――もう、覚悟を決めなくてはいけませんね 弾切れが望めないという推測に間違いが無かった以上、このまま回避を続ける事は、も はや敗北を近付けるだけの意味しか持たない。 なら、と、悠羽は背の翼に力を込める。 ――致命傷になる前に接近して、打ち倒すしかありません 無傷で相手に届く事を放棄した悠羽は、殲銃鬼に対して深く腰を落とし、半身となって 構え直す。 左半身のみを殲銃鬼に晒し、銃弾を受ける面積を最小限にした聖炎凰は、コクピットの ある胸部と頭部を守るべく腕を胸の高さに持ち上げ、握られた拳を通して前方を見据える。 ――早希さん、すみません。また、聖炎凰を壊してしまいます 聖炎凰の破壊を前提とした戦術に、悠羽はこの機体に心血を注いでくれる早希や、整備 班の面々に内心で謝罪する。 「参るぞ、異世界の強者よ!」 戦闘の停滞を破る咆哮は、再度降り注ぐ弾丸の嵐が巻き起こす轟音によって掻き消され た。 だが、先ほどと同じく、弾丸の群れが聖炎凰を捉える事は無い。 同じ展開の繰り返しになる戦闘の中、唯一違うのは、聖炎凰の回避運動。 今まで地上を動き回る事で弾丸を凌いでいた聖炎凰の姿が、殲銃鬼の眼前から消え失せ ている。 「跳んだか!」 腰を深く落とし、半身となった聖炎凰の次の動きが、己の破壊を顧みない前方への突撃 と判断してしまった戯弾は、虚を突いた相手の動きに惑わされながらも左腕の方向を変え、 同時に、この戦闘の中で初めて右腕を振り上げる。 「空中では満足に動けまい!」 今までとは比較にならないほどの接近を許した事に、相手への評価を更に高めた戯弾は、 左腕で聖炎凰を捉えつつ、右腕の砲身に力をこめる。 左腕よりも長く伸びた、中心部を抜いた剣のような形状の右腕が激しく発光を始め、大 気を焼き尽くすほどの熱を帯びていく。 「これにて果てよ!」 「その右腕が狙いです!」 加速する戦闘の中、二人の叫びが重なる。 腕を胸の前で交差させ、その身で銃弾を凌ぐ聖炎凰は、周囲を眩く照らすほどの熱量を 帯び、己に突き刺さるほどに接近した殲銃鬼の右腕を下から蹴り上げる。 直後、聖炎凰の胸部から上へと持ち上げられた銀の砲身から、一条の巨大な熱線が放た れた。 火の神の怒りを体現したかのような熱線は、首を右に傾けた聖炎凰の頭部の一部を溶か しながら宙を薙ぎ、夜の彼方へと消えていった。 極端な細身のために軽い重量の中、圧倒的な質量を持つ右腕を蹴り上げられた殲銃鬼は、 真上に上がる右腕につられる機体を制御する為に、砲撃を止めてバランスを取り直す。 腕のみが巨大という異様な重量のバランスを持つ機体ゆえに生まれた隙は、決して大き なものではなかったが、悠羽と聖炎凰にとっては十分以上の空白であり、この戦闘が始まっ て以来、初めての好機であった。 銀の右腕から放たれた熱線を辛うじて回避した聖炎凰は、熱の塊を蹴り上げた事でわず かに溶けた左足から着地した後、動きを止める間を惜しむように背の翼を全力で展開し、 前方への推力へと変える。 「はぁっ!」 熱線で頭部の一部が溶けてしまったため、左側がわずかに閉じた視界で銀の鎧鏖鬼を、 ついに己の間合いへと捉えた悠羽は、これまで溜めてきた攻撃の意志をぶつけるような鋭 い叫びをぶつける。 銃弾の嵐を凌ぐために使った両腕、特に右腕は装甲が完全に破壊され、内部の機構にま で弾丸が喰い込んでいるために動かす事は出来ない。 ゆえに、悠羽は鋼の左脚を大きく振り回し、バランスを取り戻しつつある殲銃鬼が向け た左腕を外側へと払いのける。 左に重心が流れ、自然と右肩が前に出る形となった殲銃鬼の頭部に、聖炎凰の左拳がめ り込む。 銀と緑の破片を宙に撒き散らしながら、今度は機体を後ろへと傾ける殲銃鬼に、聖炎凰 は今の一撃で破損が進んだ自身の左腕を引き、代わりに出した右脚で銀の左肘を外側から 叩き潰す。 肘を壊され、無用の長物となった左の銃身を切り離すのと、聖炎凰が勝負を決めるべく、 一歩踏み込んだのは同時。 切り離された銀の左腕が地面に落ちるよりも早く、右方向へと一歩踏み込んだ聖炎凰が、 もはや攻撃を防ぐ腕の無い殲銃鬼の左側へと回り込む。 「これで!」 「その慢心が命取りよ!」 腕を失った殲銃鬼の左半身に掌底を叩き込むべく踏み込んだ聖炎凰は、突如としてバラ ンスを崩し、その身を左へと傾ける。 「これは……」 左手が地に着くよりも早くバランスを取り戻した聖炎凰は、その隙に後退して距離を広 げた殲銃鬼を見ながら、バランスを失った原因である左膝に触れる。 そこには、受けるはずの無い銃弾によって穿たれた、いくつかの銃痕が刻まれていた。 「よもや、左腕を失い、鏖技を使う事になるとは」 左腕を失った事の痛みに耐えるように、苦々しく言葉を吐き出す戯弾は、殲銃鬼と同じ く満身創痍の聖炎凰に向かい、宣言する。 「悠羽殿、この闘争、満足のいくものであったが、次の一撃が最後となろう」 「次の一撃で私を倒す、という事ですか」 「左様。我が鏖技を受け、お主は終わる」 左腕を失いながらも、絶対の自信をもって告げられた言葉に呼応するように、創世島の 地表に、一つの異変が起こる。 予想だにしていなかった異変を前に、悠羽は思わず眼前の相手から視線を外し、周囲の 様子を確認する。 悠羽の視界に映るのは、当たってほしくない自らの予想と寸分も違わないものであった。 「拙者に与えられた鏖魔としての能力は、弾丸の操作なり。故に、この島に埋められた弾 丸の全ては、拙者の意のままよ」 戯弾が創世島の地表に起こした異常、それは、殲銃鬼によって放たれ、地面に埋まった 弾丸が宙に浮き、聖炎凰を取り囲むというものであった、 着弾の衝撃で削れたのか、弾丸は個別で見ると大きくなく、破壊力はさほどではないと、 容易に想像が出来る。 だが、聖炎凰を取り囲む弾丸の群れが持つ圧倒的な数は、個別の破壊力など問題になら ないのだと、無言の主張をしている。 同時に、悠羽は聖炎凰の左膝に穿たれた弾痕の正体を理解する。 「先ほどは咄嗟の事態であったため、十分な威力を発揮できなかったが、万全の状態で放 つ鏖技に死角は無い。……覚悟されよ」 鋭さを増していく戯弾の殺意を証明するかのように、聖炎凰を取り囲む弾丸の壁が包囲 を狭めていく。 「これにて終局なり! 鏖技、弾穿殺(だんせんさつ)!」 死を告げる鏖魔の必殺の言葉は、聖炎凰の周囲を囲み、もはやドーム状となった弾丸の 群れの全てを同時に中心部へと収束させる。 ――これが、鏖技 視界を埋め尽くす弾丸の壁が、自分に死を告げるために迫ってくる光景を目の当たりに した悠羽は、避けようのない攻撃を前に、強く死を意識する。 が、半ば諦め、死を意識する自分とは別に、この状況下において、更に精神を研ぎ澄ま せている自分がいる事も認識していた。 死を意識したからこそ辿り着いた極限の状態で、どこまでも細く、鋭く尖らせていく精 神は、悠羽の感覚を一気に塗り替えていく。 ――弾が、止まって…… 本当に時間が止まった訳ではない、とは理解できるが、今の悠羽の感覚が捉える世界の 中で、周囲の弾丸は、そのことごとくが止まっているように見える。 自分以外の全てが静止した感覚の中で、悠羽はこの場を切り抜けるために最善の動きを 選択し、実行に移す。 その動きを判断したのは、思考よりも速く、深い位置で身体を動かし得る、悠羽の本能。 もはや自身の意識さえも置き去りにした悠羽の本能に応える聖炎凰は、その鋼の身を、 陸上選手のクラウチングスタートを更に深く沈めたような体勢に変え、背の翼を全力で展 開する事で、地を這うように前方へと加速する。 胴と地を接触させる限界の高さで前方を進む聖炎凰は、加速を続けながら前方の弾丸へ と自ら飛び込む。 同じく加速しながら迫り来る弾丸に対し、正面から挑む聖炎凰に防御と呼べるものは、 頭部を守るために突き出した損傷の激しい左腕のみ。 間も無く、超高速で弾丸の壁にぶつかった聖炎凰の左腕が、紙屑のように吹き飛ぶ。 ――届け 左腕の防御を失った頭部が完全に破壊され、悠羽から視覚と聴覚を奪うが、本能の叫び と紅の機体は止まらない。 ――届け 既に機能を失った右腕が肩ごと鉄屑へと変わり、背の翼へと殺到する弾丸が装甲に無数 の穴を穿つが、その損傷でさえも本能のまま動く聖炎凰を止めるには至らない。 「届け!」 本能と意識が繋がった悠羽の叫びは、もはや動いている事が間違いとさえ思えるほどの 損傷を負った聖炎凰が、弾丸の壁を抜けたと同時であった。 弾丸の猛攻に晒され、推進のためではない炎をあげる翼を背にした聖炎凰の加速は満足 には行えないが、それでも己の身を紅の砲弾として殲銃鬼にぶつけるには十分であった。 勝利を確実にするための熱線を放つため、前に突き出していた右の砲身に腰部を串刺し にされる形で殲銃鬼へと己の身を叩きつけた聖炎凰の胸部にあるコクピットハッチが開く。 「届きました!」 腰部を貫かれた聖炎凰が、殲銃鬼を押し潰すように倒れ込み、地面に激突するよりも早 く、その身を宙に投げ出した悠羽は、同じく胸部にあるコクピットハッチを開き、その身 を外気に晒す戯弾を眼下に見た。 「機体を破壊しようが、お主の命を奪わねば意味が無い!」 右腕で貫いた聖炎凰により、仰向けに倒されていく殲銃鬼のコクピットから姿を現し、 水平になりつつある機体に足を着けた戯弾は、宙を舞う悠羽へと地に埋まった弾丸を向け る。 聖炎凰を囲むためにほぼ全ての弾丸を使ってしまったため、悠羽に向ける事の出来た弾 丸は、彼女に正面から向かう数発にしか過ぎない。 だが、例え一発であっても、鎧鏖鬼が撃ち出した弾丸は、人間を殺すには十分以上の大 きさと加速がある。 加えて、翼と足場を持たぬ生身の状態では、方向の転換は望めない。 当然の結論として、正面からの弾丸を回避できない悠羽は、次の瞬間に肉塊になる他に 道は無い。 そのはずであった。 凌牙や終破から何度も聞かされた、彼女の特殊な力を失念していた戯弾の中では。 疑いようの無い必殺の弾丸が一つ残らず灰になって夜空に消失した事実を、戯弾は即座 に受け入れる事が出来なかった。 ただ分かるのは、上を向いた視界の中、紅の機体が倒れてくる姿と、その機体よりも赤 い、全てを焼き尽くす紅蓮の炎を左手に宿した悠羽が、彼女の真下に位置する、この機体 へと落ちてくる姿であった。 この時、戯弾が見せた動揺とわずかな空白が、二人の勝負における最大の分岐点であっ た。 左手で燃え上がる炎に照らされた悠羽が、十メートル以上離れた殲銃鬼の装甲に音も無 く着地した瞬間、戯弾の運命は定められた。 必殺の一撃が目的を果たせなかったと理解出来た戯弾は、意識を切り替えて迎撃を行お うとした時、ようやく気付いた。 目の前の敵に繰り出そうとした右腕の肘から先が、灰になって消失している事に。 異常な事態を見つめる視界の中、確かに右腕の肘から先は消失しているにも関わらず、 そこには痛みも熱も無い。 その事に疑問を感じるよりも速く、戯弾の左腕が同じく灰になって消失したが、戯弾は それに気付かない。 左腕を奪った一撃が、戯弾の知覚では捉えきれないものであったために。 戯弾が次に知覚したのは、完全に倒され、地面に激突する寸前の殲銃鬼の装甲に、自身 もまた仰向けに倒されている事実であった。 視界の大半が塞がっているのは、彼女の右手がこちらの顔を掴んでいるのだという事も 理解出来た時、戯弾は、自分が知らない間に悠羽に顔面を掴まれ、そのまま押し倒された のだと、その状況から推測する。 両腕を失った痛みと熱が、今になって戯弾の感覚に訴えかけてくる。 まるで、自分の中に流れる時間が遅くなってしまったかのような現象に身を置いている 戯弾は、ここに至って、全てを理解した。 彼女は、自分の感覚を超えた世界で動いているのだと。 「神の炎、その身に受けてもらいます」 音さえも置き去りにするほどの速度を持ちながら、一切の気配を感じさせない動きで、 戯弾の両腕を奪って押し倒した悠羽の言葉が、静かに響く。 その能力の名が示す通り、炎を宿した左手を大きく広げた悠羽は、意を決したように、 戯弾を見下ろしながら、一拍の間を置く。 「絶技、神炎掌!」 必殺の名を告げる叫びよりも速く、五指を広げた炎の左手が、戯弾の胸に叩きつけられ る。 例え炎を宿していなくても、その速度によって鏖魔の肉体であろうと容易に破壊しうる 掌底の一撃は、戯弾の肉体を文字通り爆散させるという結果を生み出した。 「見事なり」 首から下が四散した戯弾が最後に漏らした言葉は、鏖魔としての生を、闘争の中で全う できた事への喜びに満ちたものであった。 「勝て……まし、た……」 右手に握っていた戯弾の頭部を離し、ゆっくりと身体を持ち上げた悠羽は、勝利の感情 を得るよりも先に、全身の力が急速に抜けていく感覚に襲われる。 そして、全身の力と同時に意識も失った悠羽は、遂に殲銃鬼が地上に激突した衝撃に宙 を舞い、無防備な身体を虚空へと投げ出す。 「よくやったね、悠羽」 既に意識を失い、宙を舞う悠羽の身体が、地上に叩きつけられる直前、一つの影に抱き とめられる。 月明かりを受けて輝く純白の髪を風に揺らしながら悠羽を抱きとめた影、雪那は気品さ え感じられる美しい動作で地に足を着け、腕の中で動かない悠羽を見る。 「最後の動き、悠羽は相手の時間を支配出来ていた。あの時、悠羽は神の領域に踏み込む 事が出来たんだよ」 我が子を寝かしつけるよう、優しく言い聞かせるような雪那の言葉は、背後の聖炎凰が 殲銃鬼と激突した際の、金属の大音量に飲み込まれた。 「強くなったね、悠羽」 意識の無い悠羽の耳元で、雪那は静かに囁く。 「これからは、悠羽が新たな勇者だよ」 第十二話 神炎掌(後編)