ワタシのカレは天空の勇者(後編) 「そう、悠羽ちゃんは私と勝負するんだからね!」 未だに事態が呑み込めず、正座したまま目を上下左右に泳がせている悠羽を改 めて指差したアイは、既に結果を確信したかのような余裕の笑みを浮かべ、カイ トへと顔を向ける。 「カイトも、それで文句無いよね?」 「あるに決まっているだろう」 アイの言葉を真っ向から否定したカイトは、彼女に聞こえるよう、意識して大 きなため息を吐き出し、批難の色を多分に含んだ視線をゆっくりと向ける。 「お前はいきなりやって来て、何を勝手に話を進めているんだ。ほら、早く研究 所に戻れ」 「がーん! か、カイトが冷たいよぉ……」 漫画に出てきそうな擬音を自ら口に出し、シートの上に崩れ落ちたアイは、先 ほどのお返しとばかりに、批難めいた視線をカイトに向ける。 「そんなに悠羽ちゃんがいいんだ? そうだよね、悠羽ちゃん可愛いし、足長く てスタイル良いし、家は何だか凄いし。どうせ私は可愛くない女ですよ〜だ」 「誰もそんな事言ってないだろう。大体、勝負って言うけど、何の勝負をする気 なんだ?」 「え……? そ、それは……えっと……」 カイトの指摘に答えを詰まらせたアイは、頬を掻きながら上手く回らない頭を 全力で稼働させ、ようやく混乱の治まりかけた悠羽の横顔を伺う。 「ぼ、ボクシング、とか?」 「……お前、跡形も残らないぞ」 「そんな事ありませんっ!」 悠羽が慌ててカイトの言葉を否定するが、 「そういえば悠羽ちゃん、この前ブレイバーズでやった合同訓練で、訓練所の壁 をウォーミングアップみたいな軽いノリでブチ抜いてたよね」 「さすがの武藤さんも青ざめてたな。天農博士は『くわばらくわばら』だけ言い 残してどこかに消えるし」 「やっぱりトンデモ系だよね。私もあの呼吸を教えてもらおうかな?」 「お前は研究所を破壊しそうだから勘弁してくれ。ある意味、フォグ・ラインよ り厄介になる」 「二人とも、ひどいですっ!」 いつまでも続きそうな二人の会話を止めたのは、悲鳴に近い悠羽の叫び。 「確かに、あの時はちょっと加減を間違えて壁を壊しましたけど……。でも、あ れはちょっとした事故です。それを、そんな風に言わなくても」 「私、力加減のミスでブチ抜かれたくないなぁ……」 「ごめんごめん。確かに言いすぎたね。それじゃ、こいつは無視して次の場所に 行こうか」 「ちょっと! ここに来てサラっと無視しないでくれるかな!?」 荷物をまとめ、立ち上がろうとする二人を大きく広げた両手で必死に制するア イ。 「アイ、お前はさっきから勝負がどうとか言ってるけど、何でそんなに月守さん と勝負したがってるんだ?」 「そ、それは……」 カイトの膝枕が賭かっているからに決まってるじゃない、と出かかった言葉を 懸命に飲みこんだアイだが、代わりの言葉が出てこない。 「それは、ね」 「アイかて悠羽と遊びたいんや。そうやろ?」 アイの言葉を引き継いだのは、彼女の後ろから現れたもう一人の女性。 「悪いなお二人さん。今日は後を尾けさせてもらってたで」 「……えっと、篠原さん、でいいのかな? この関西弁の女性は」 「早希さん、ですよね? 関西弁ですし」 「関西弁以外でウチを判断できんのかい!」 「ひどいよ二人とも! 普段は化粧も無ければ色気も胸も無い、機械だけが友達 の早希ちゃんがオシャレしたっていいじゃない!」 「アイ、お前が一番ひどい事言ってないか」 「アイさん、さすがにそれはちょっと」 「…………アイ、あんたの気持、よう分かったわ」 バッグを静かにシートに置いた早希は、自由になった両手でアイの身体を力強 くホールド。 続いて足をアイの身体に絡ませ、そのまま彼女の身体を絞り上げる。 「胸の事に関しては、アンタにとやかく言われたくないんやけどな!」 「早希ちゃん! ギブ! ギブ! コブラツイストはキツイよ!」 身体を絞めあげられ、涙目になりながらギブアップを宣言するアイは、カイトに 視線で助けを求めるが、 「良かったなアイ、篠原さんと仲良くしてもらえて。それじゃ、俺達は別の場所に 行くから」 「え!? ね、ねえ、カイト! 助けてくれないの!? 可愛いくて愛しのアイちゃ んの大ピンチなんだけど!」 「可愛くも愛しくもないからな。篠原さん、アイをよろしくお願いします」 「よっしゃ、任せとき。……と、言いたい所やけど」 アイに技をかけた体勢のままの早希の顔に、試すような笑みが浮かぶ。 「せっかくやし、ここで開発してる『アレ』のテストを、この二人にやらせてみた らええんちゃう? 『アレ』なら白黒ハッキリつけられるやろ」 「確かに『アレ』は、そろそろテストをしようと思ってた所だからなあ」 早希の言葉の意味を理解したカイトは、事情を理解できていないアイと悠羽を交 互に見る。 「まあ、この二人なら大丈夫かな」 「そういうこっちゃ」 アイの身体を解放した早希は、目に涙を浮かべて身体をさする彼女の背中を軽く 叩く。 「アイ、望み通り悠羽と勝負させたるわ。内容は……そうやな、ロボットの操縦技 術ってのはどうや?」 白川グループの運営する一大テーマパーク『エル・ドラド』の北側に位置する、 白と黒の大きな建物。 SF小説に出てくる宇宙船のような外観のそれは、ゲームセンターやボーリング、 カラオケなどをまとめたアミューズメント施設であり、敷地内にに点在する他の施 設と同じく、設備の質や規模において、日本最大級を誇っている。 「悠羽とアイは、『ICS(イクス)プロジェクト』って知ってる?」 早希の声が響くのは、施設の性格ゆえ、若者やカップルの姿が目立つアミューズ メントパークの地下に広がる無機質な廊下。 最新の機種が揃い、非日常の喧騒に包まれる地上とは対照的な、蛍光灯の灯りに 照らされる白い一直線の廊下は、清潔感と機能性こそ感じるものの、多くの人が集 まり賑わう園内において、異質な存在といえる。 とはいえ、それなりの広さを持つ廊下は決して無人という訳でもなく、左右に並 べられたドアから出入りする者や、カイトらとすれ違う者の動きは、ここが彼らの 日常である事を無言で主張している。 「ICS? 私は知りませんが、アイさんは?」 「私もサッパリ。人の名前かな?」 廊下で誰かとすれ違うたびに軽く挨拶を交わすカイトや早希とは違い、園内とは 雰囲気の異なる初めての場所に戸惑い、視線を泳がせる悠羽とアイは、早希から告 げられた言葉を半ば聞き逃しながら、周囲の探索を続行する。 「まあ、そうやろうね」 二人の気の無い返事に当然のように扱い、足早に廊下を進む早希。 「『ICS』っちゅうんは、Intelligence Control Systemの略称でな。カイトの 開発した超AIの派生形、っていえばイメージがつきやすいか。超AIみたいに完 全な自律行動はせえへんけど、ある程度の自我を持って機体のシステム制御や搭乗 者のサポートをしてくれるシステムなんよ」 廊下の突き当たりのドアの横に付けられたカードリーダーに、早希の懐から取り 出したIDカードが通される。 「ICSのサポートがあれば、ペーペーの搭乗者でもそれなりの実績が期待できる し、ICS自身も、情報を蓄える事で、より正確で迅速なサポートを行えたり、仲 間内のICS同士で情報の共有もできたりと、まあ、リアルタイムで成長する便利 なサポートシステムを機体に組み込んでみよう、ってのがICSプロジェクトの大 雑把な所やな」 早希の説明と共に、音も無くスムーズに開くドアの奥に広がっていたのは、小さ な体育館ほどある空間と、その中に所狭しと並べられた大型の機械の数々。 「で、今はそのICSを各組織で協力して作ってる最中なんやけど、それをゲーム に転用してみようって話になってな。……そんな事言い出したんは、ウチらの所の 大将やけど」 大型の機械に張り付くスタッフに目で挨拶する早希が指差すのは、部屋の中央に 置かれた二つの白い立方体。 「そんなワケで、簡易版のICSを搭載したゲームの試作版が出来たから、そのテ ストを二人にやってもらおう、と思ってな。これやったら、前の模擬戦みたいに危 険な事も無いし、ちょうどええやろ」 「つまり、私と悠羽ちゃんが、このゲームで対戦するって事?」 「ああ。アイも月守さんもロボットの操縦には慣れてるからな。何をそんなに勝負 したがってるのか知らないけど、これで勝敗をつければいいだろ」 「うん、何だか面白そうだし、これなら私の命も安心だね!」 「だ、だからアレ事故なんです!」 思わず声を大にして反論する悠羽をよそに、軽い足取りで筐体である白い立方体 に入るアイ。 およそ二メートル四方ある筐体の中は、当然というべきか、ロボットのコクピッ トを模した作りになっており、周囲の壁や天井と足下までに全天モニターを思わせ るディスプレイが敷かれている事に、アイは小さな驚きと感嘆の声をあげる。 『アイ、聞こえるか』 ゲームセンターに置かれる筐体にしては分不相応な質のシートに腰掛けたアイの 耳に届くのは、シートの後方のスピーカーを通したカイトの声。 「あ、カイトだ。このシート、すっごい座り心地いいね。研究所に持って帰りたい んだけど」 『そういうのは自腹でな。それじゃ、ゲームを起動させるぞ』 カイトの言葉が終わるより早く、アイの周囲を囲むディスプレイに光が宿り、ロ ボットの格納庫を思わせる風景が映し出される。 「おお、リアルだね」 三百六十度映像が展開し、ここがゲームの筐体の中である事を早くも忘れそうに なったアイは、顔を上下させ、天井や地面に至るまで完全に再現された映像の完成 度に再度の感嘆を口にする。 「『鋼の勇者たち(ブレイブ・サーガ)』っていうんだ、これ」 正面に表示されたタイトルを口にしながら。アイは両手を前に伸ばし、レバーを 掴む。 左右で独立した動きの出来るレバーは、それぞれの五指に対応した計十個のボタ ンが付けられており、正面のディスプレイには、それぞれのボタンが担う役割につ いての説明が表示されている。 「左右の手に持つ武器や盾の使用や切り替え、上半身の向き、ロックオン……なか なか複雑だね……っと、次は足の説明か」 説明に従い、左右の指を細かく動かしていくアイの正面の画面が切り替わる。 ディスプレイが映すのは、アイの両足に位置する二つのペダル。 自動車のアクセルとブレーキに似た二つのペダルだが、片足で両方を扱う自動車 のそれとは違い、左右の足でそれぞれを操作する方が適切だという説明が表示され る。 「こっちは下半身と推進系のコントロールか。ペダルを踏む力加減が大切っぽいね」 説明の内容を理解したアイは、左右の足でペダルを踏み、その固さを確かめる。 『それでは、使用する機体を選択して下さい』 操作の説明が終わり、平坦な女性の声と共に、再度画面が切り替わる。 どこかで聞いた声だな、と思いつつ、アイは右手のレバーを前後に動かしてカー ソルを操り、自分が使用する機体を選ぶ。 いかにもゲームらしい、機能よりもデザインが先行した機体の数々にカーソルを 合わせると、その機体の名称や特徴が表示されていく。 そして、騎士や電光など、どこかで見た事のあるようなキーワードを盛り込んだ 機体を一つずつ吟味していくアイの動きが、ある機体の所で止まる。 「スカイ・ルーラー、かぁ」 背に戦闘機を思わせる鋭角の大きな一対の翼を持ち、装甲を空の青で彩った機体 の名を呟いたアイは、機体の横に表示される説明に目を通す。 『その翼で大空を駆ける天空の支配者。機動力と火力は申し分ないが、装甲の頼り なさには要注意なので、盾の使い方が重要。充実した装備と専用のICSと共に戦 場を支配しよう!』 説明文の横に書かれる機体のスペックにも目を通したアイは、恐らくこの機体の 元になっているであろう勇者を想像し、小さく頷く。 「うん、私にはこれがいいや」 右手のボタンで機体を決定させたアイは、機体ごとに設定されているICSの説 明を見落としていた事に気付き、改めて画面に目を通す。 『スカイ・ルーラー専用ICS:Oタイプ。天空の支配者にピッタリの王様タイプ。 王様なので、実はサポートには向いていないかも。でも、声がカッコイイので、耳 元で美声に囁かれたいアナタにオススメ!』 「何これ、変なの」 機体の説明とは違う、奇妙なそれにアイが目を通し終えた直後、 『私を選んだのは卿か』 威厳を感じさせる低さの中に、聞く者を陶酔させる甘さを含んだ、説明通りの美 声が彼女の聴覚を刺激する。 『さあ、共に参ろうか。これより我等に敵対する者に、ことごとく見せつけてやろ う。王の闘争というものをな』 「このぶっ飛んだ変態じみたノリって……」 以前、戦闘の場で相対した異世界の王を思い出したアイは、なぜ彼の人格が使わ れているのかを疑問視するが、彼のような際立った存在はゲームに馴染みやすいの だろうと、自分なりの結論を導き、納得する。 「とにかく、今日はよろしくね。悠羽ちゃんに勝って、カイトの膝枕をゲットする んだから」 『よかろう。卿の望みを叶えるのも、王の務めというもの』 「……サポートシステムのくせに、すごい上から目線なんだけど」 姿の見えない相棒に不安を覚えつつも、アイは切り替わっていく画面に集中する。 「よし、いくよ悠羽ちゃん! 絶対に負けないんだから!」 「えっと、このボタンで攻撃して、こっちのボタンで防御して……あ、逆でした」 アイが機体選びを行っている頃、一歩遅れて筐体に入った悠羽は、画面に表示さ れている操作説明の内容を理解するのに苦労していた。 悠羽の愛機である聖炎凰を始めとする鋼騎の操縦方法は、脳と機体をリンクさせ るHMLSと呼ばれるシステムによるものであり、このゲームのようにレバーやペ ダルなどを操作する方法ではないのだ。 そのため、複数のボタンを素早く駆使して機体を操作するという感覚は、悠羽に とって未知の世界であり、その挙動はとてもパイロットのそれには見えない。 『それでは、使用する機体を選択して下さい』 悠羽の戸惑いを無視し、画面は機体選択へと変わっていく。 「あ、まだ操作を覚えてないです……」 不安に満ちた、か細い声で放たれた悠羽の抗議は当然受け入れられず、彼女の視 界には、自身が操作するべき機体が映し出される。 「仕方ありません。あとは実際に動かしながら覚えるしかないですね」 小さく息を吐き出し、気持ちを切り替えた悠羽は、目の前に表示される機体の説 明に目を通していく。 視線を素早く動かし、必要な情報を的確に取得していく悠羽が重要視するのは、 ただ一つ。 それは、機体の持つ武装。 自身が鍛えた格闘技術をそのままフィードバックする聖炎凰を駆る彼女にとって、 他の機体が装備している銃や剣といった武装は全くの未経験であり、このゲームに おいても、上手く扱える自信が無い。 当然の帰結として、悠羽が求めているのは、聖炎凰と同じく格闘術を主体とした 機体である。 敵を屠るのに、余計な武装や機能は必要無い。 必要なのは、鍛え抜かれた五体と極限まで高めた集中力、そして、それらを支え る正しいリズムの呼吸が織り成す、格闘術とは名ばかりの暴力。 それをゲーム上で体現できる機体を探す悠羽の動きが、不意に止まる。 それまでよりも画面を注視する悠羽の視線の先に表示されているのは、 「葬牙(そうが)、ですか」 刃で作った装飾品のような、鋭角で構成された黒い細身のボディに、重量バラン スなど一切考慮されていない巨大な左腕を持つ機体であった。 これが実際の機体なら、直立すらままならないであろう異様な外見を有する葬牙 の横に書かれた説明文は、ただ一言。 『ぶん殴れ。それだけだ』 「はい。そうさせてもらいます」 説明というにはあまりにも乱暴なその一文に、これを書いた者の姿を想いながら、 悠羽は操作する機体を確定させる。 『フハハハハハ! この超天才ICSとである私と葬牙に任せるがいい!』 直後、筐体内に、高笑いと、絶対の自信に満ちた雄叫びにも似た男の声が響き渡 る。 「……えっと、この声、どこかで聞いたような」 唐突に聞こえてきた男の声を記憶から引っ張り出そうとする悠羽だが、あと一歩 の所で解答に辿りつけない。 『葬牙専用ICS:Fタイプ。こんなバランスの悪い機体を選んだアナタには、自 称超天才ICSのFタイプがピッタリ! 超天才のサポートで明日を目指そう!』 機体説明の横に書いてあるICSの紹介を読むが、やはり悠羽には声のモデルと なった人物が分からない。 「どこかで聞いた事のある声なんですけど」 「さあ、全宇宙に見せてやるのだ! 私と! 葬牙の! 大! 活! 躍! を!」 「……あ、思い出しました!」 悠羽の中で、搭乗者を無視し、勝手に盛り上がるICSの声と自身の記憶が合致す る。 「この声、あの痴漢さんです!」 以前、偶然に偶然を重ねた結果、自分の胸を鷲掴みにした自称天才科学者の声を思 い出した悠羽は、なぜ彼の声が使われているのかという事と、あの時、思わず蹴り飛 ばしてしまったが大丈夫だろうかという事を想うが、この筐体の中にその答えは無い。 全ては偶然によるものであり、彼に邪な気持ちは無かったのだが、悠羽にとっては、 ただ「胸を鷲掴みにされた」という事実が全てであり、そこに至るまでの事情など知 る由も無い。 「と、とにかく気を引き締めないと」 一瞬だけ胸を見て当時を思い返した悠羽だが、目の前の画面の切り替わりに合わせ て小さな呼吸を数度繰り返し、意識を集中させる。 『さあ、超天才のショータイムだ!』 「天才ではありませんが、いきます!」 格納庫の扉が開き、戦闘開始を告げる音が筐体を包む中、一人と一機はそれぞれの 言葉を放ち、戦場へと臨む。 Sky Ruler(スカイ・ルーラー) 分類:高機動万能型 全高:18メートル 専用ICS:Oタイプ メインウエポンA(右手):ストームセイバー(中型剣・実体) メインウエポンB(左手):ゲイルファング(中型ライフル・実体弾とエネルギー弾の切り替え可) サブウエポンA(左腕):ウインドガード(シールド・実体) サブウエポンB(左手):エアステーク(小型マシンガン・実体弾) サブウエポンC(両肩):テンペスト(大型キャノン・エネルギー弾) 特性1:飛行 特性2:変形 葬牙(そうが) 分類:特殊格闘型 全高:20メートル 専用ICS:Fタイプ メインウエポンA(左手):葬拳(そうけん。大型腕部・実体) サブウエポンA(右手):葬壁(そうへき。シールド・エネルギー型) 特性1:高機能センサー アイの目に飛び込んで来たのは、傾き始めた太陽の光。 次に、アスファルトが砕け、地面が多く露出した道路と、半ばから折れてはいるも のの、それでもなお自機より高い高層ビルの数々。 ヒトはおろか、あらゆる生命の息吹が感じられない荒れ果てた街は、かつてここで 大規模な戦闘があったのだと容易に想像が出来る。 無論、これは現実でなく、あくまでゲームの世界なので、この破壊による人的、物 的被害について心配する事は何も無いが、最新の技術で構成された架空の街は、アイ が思わず息を呑んでしまうほどに精巧なものであった。 戦闘が終わってからかなりの時間が経っているらしく、所々でビルの風化が始まり、 細かな破片になったビルの残骸が、街を通り抜ける風に乗って舞い上がる。 「凄いねこの映像。現実と区別がつかないよ」 廃墟と化した街にはそぐわない、鮮やかな青の彩りを刻んだ天空の支配者は首を左 右に動かし、周囲の様子を確認する。 かつては華やかな大都会だったのだろう、どこを見ても延々と続く高層ビルの群れ の中に、同じ戦場にいるはずの悠羽の姿は見えない。 「悠羽ちゃんがどこにいるのか分かる? レーダーとか無いの?」 『そのようなものは無い。己が目で迅速に、しかし気取られぬように敵を探し、これ を討つ。それがこの遊戯の規則というものだよ』 「なるほど、かくれんぼバトルだね。だからビルが壊れててもこんなに高いのか。う んうん、納得納得」 素早くゲームのシステムを理解したアイはレバーを前に倒し、青の機体を前進させ る。 「ねえ、ICS」 『何か用かね?』 周囲に気を配りつつ、両手に武器を携えたまま荒廃した街を慎重に進むアイの声に 応えるICS‐Oの声は、やはり王の威厳に満ちたものである。 「時間を止める、ってホントにできるのかな?」 『時間を止めるとは 卿は面白い事を言う』 明らかにゲームの内容から逸脱した問いに対して、どういう反応をするか疑問だっ たアイが、淀みなく応える事の出来るシステムの完成度に感心すると同時に、王の模 造品は言葉を続ける。 『私には出来ぬ芸当だが、もし本当に時間を止めるなどという事が出来るのなら、そ れはまさに世界を跪かせる王の能力と言えよう』 王の言葉を聞きながら悠羽の機体を探すアイは、自分の疑問が解決しない事に何の 感慨も抱かない。 声や口調を真似てはいるが、今自分と話しているのは、あくまでゲームのシステム であり、以前出会った、王を名乗る生体兵器ではないのだ。 ――う〜ん、やっぱりアレってカイトの言う通り、ホントに時間を止めたのかな? 未だに見えない敵影を探し続けるアイの意識が、過去へと遡っていく。 市街地に現れたギルナイツの暗黒騎士を撃破した勇者達の前に現れた、三対六枚の 翼を有する、純白の機体。 「卿らが、道化殿の言う『勇者』か」 鏖魔が操る機動兵器、鎧鏖鬼特有の能力である黒い霧からの転移によって現れた白 の鎧鏖鬼から言葉が発せられるのと、鋼の勇者達が異世界の破壊者を囲むのは同時。 この時、アイもフライトナーに搭乗し、沈みかけた夕陽を受けて輝く破壊の王と対 峙している。 そして、勇者達が一斉に攻撃を仕掛けようとした、まさにその瞬間、 「この場で王の闘争を見せてやっても良いが、今は舞台を整える事が優先なのでな」 戯曲を謳い上げるかのような、どこか芝居じみた響きを持った声が、夜の闇が訪れ 始めた空の下に響く。 彼を囲んでいた勇者達の後方から。 「世界を跪かせる我が能力。卿らには見る事も感じる事も出来はすまい」 夜の闇の中でも輝きを失わない純白の機体から放たれる声を追うように、その姿が 徐々に黒い霧状に変化していく。 「今日は卿らの存在を確認できただけで良しとしよう。次は闘争の場で会いたいもの だな」 古くからの友人に優しく語りかけるような穏やかさで紡がれた言葉を残し、白の機 体は完全に消失した。 「時間を、止めた?」 「ああ、そう考えるしかない」 翌日、大空研究所の食堂で朝食を摂りながら、昨日の不可思議な現象についてのカ イトの見解を聞いたアイは、思わず同じ単語を繰り返し、続きを促す。 「アイはすぐに寝たから知らないだろうが、あの後、皆と意見を交換してみたけど、 どの機体の計器にも一切の反応が無かったんだよ。あの状況で何の痕跡も残さずに移 動するなんて、これはもう、時間を止めたとしか思えない」 とりあえずの結論を導いたものの、納得していない事を表情で物語るカイト。 「とにかく、早急に対策を立てないとな」 ――時間を止める敵への対策、かぁ 意識を現在に戻したアイは、悠羽の機体が見えない事を再度確認し、時間という事 象に介入する能力にどう対抗するかを考えようとしたが、 「やめやめ。今はこっちに集中しないと」 即座に思考を切り替え、荒廃したビルの群れに意識を集中させる。 「どんな敵が来ても、カイトやみんながいれば大丈夫」 背の翼がビルに擦らないよう気を付けながら足を進めるアイは、自分なりの結論を 導き出し、それを言葉にする。 「だって、私達は勇者なんだもん……って、そういえば」 シートに座ったまま後ろを向き、背の翼を見るアイ。 「この機体、空を飛べるんじゃないの?」 機体名といい、この翼といい、空中戦を意識した設計である事は疑いようがない。 「空から一気に悠羽ちゃんの所に行きたいんだけど?」 『なるほど。確かにこの機体は、空にあってこそ真価を発揮する。王とは遥かな高み より全てを見下ろすものだからな』 「相変わらずのノリだなぁ。で、どうやればいいの?」 『残念だが、今は無理だ。これは完成版では無いからな。飛行や変形といった機能は まだ実装されていない』 「がーん!」 告げられた真実に、またも漫画のような叫びが響く。 「それじゃ、この機体の良い所が台無しだよ! 背中の大きな翼がただの飾りになっ ちゃうじゃない!」 『そう腐る事もあるまい。例え空を飛べずとも、機動性の高さは保証しよう。地を駆 け、制するというのも、王の在り方として悪くはなであろう?』 「ぶ、ぶれないなぁ、この人……」 あくまで変わらぬ王の言葉に呆れつつも、飛行出来ない事実を受け入れ、即座に意 識を切り替える。 本人に自覚は無いが、この切り替えの早さがアイの長所であり、ロボットのパイロッ トとして重要な資質でもある。 そして、どこまでも続く風景にアイが飽き始めた時、 「……ん? 今のって」 正面のビルの隙間に、わずかだが見える黒い輝き。 刃のような鋭さを持ち、陽光を浴びて輝く黒は、この街を構成するパーツとは明ら かに異なっている。 「ねえ、あの黒いのって」 『この位置からだと正確な判別は難しいが、形状から見て、恐らくは葬牙だろう。格 闘戦に特化した機体ゆえに、間合いを詰められれば厄介な相手となる』 「悠羽ちゃんらしい選択だね。よし、ここは一気に」 『待て』 声に、葬牙をロックオンしようとしたアイの指が止まる。 『ロックオンをすれば射撃の精度は上がるが、敵にもロックオンが伝わり、こちらの 位置を教えてしまう事になる。敵機の特性と、こちらのみが敵を補足している状況を 生かし、ここは離れた位置からの射撃を行うのが上策といえる』 「…………」 『何を惚けている?』 「まともなアドバイス、出来るんだ」 『……卿は私を何だと思っていたのだ。ともあれ、気を付けたまえ。葬牙はセンサー の質が良い。目と耳の優れた相手に気取られぬよう、この地点まで移動するとしよう』 ICS‐Oの言葉が終わると同時、右側にあるビルが黄色く点滅し始める。 『このビルの上ならば、射線も開けていて狙いやすかろう。空は飛べずとも、これく らいなら飛翔は可能だ』 「オッケー! それじゃ、張り切っていってみよう!」 ついに戦闘開始とあって、返事にも力が込もるアイは、正面の機体に気付かれない よう、ビルの陰に身を隠すようにして慎重に足を動かしていく。 支配者の名に相応しくない、隠密行動で目的のビルを目指す途中、アイは機体の首 をわずかに傾け、悠羽の駆る黒の機体の様子を伺う。 戦闘行動ができるのか疑問視してしまうほどの細いボディに、何かの冗談のように 巨大な左腕が取り付けられた機体は、ある種の怪異じみた不気味さを放っている。 ――悠羽ちゃん、トンデモ系の機体に乗ってるなぁ 自分なら選ばない、しかし彼女らしい機体の選択に、アイの頬が緩む。 ――それにしても 荒れ果てた街に佇む怪異と化している葬牙を見るアイの中に、一つの疑問が浮かび 上がる。 彼女もまた、こちらを探しているのであろう、上半身を左右に動かして索敵をして いるように見受けられるが、 ――悠羽ちゃん、操作に慣れてないのかな? その動きのぎこちなさは、端から見ていても不安になるほどのものであった。 索敵中に余計な動作を入力しているため、下手なダンスのようなステップを刻んで いるその挙動は、素人のそれと変わらない。 普段、彼女が特殊な操縦方法で機体を操っている事が原因だという事に思い至らな いアイは、実戦時とのギャップに小さな驚きを感じると共に、口元が勝利の笑みに変 わる。 ――悪いけど、この勝負はもらったよ悠羽ちゃん 初心者とは思えない滑らかな挙動で目的地へ近付いていくアイは、彼我の技量差を 認識し、小さくガッツポーズ。 「もし悠羽ちゃんに勝ったら、カイトからご褒美があったりして」 わずかに緊張が解け、勝利した後の事に気を回す余裕が生まれたアイは、シートに 座る身体をくねらせる。 「『アイ、よくやった。これが俺からのご褒美だ』なんて展開があったりなかったり? やだ! カイトったらそんな大胆な! でも、そんな肉食系なカイトも」 『盛り上がっている所すまないが、目的地に到着したぞ』 「ちぇっ。せっかく良い所だったのに」 妄想の中断を余儀なくされたアイは舌打ち一つで気持ちを切り替え、目的地である 高層ビルを見上げる。 スカイ・ルーラーの倍近い高さを有する高層ビルは、破壊の嵐に晒された街の中で は珍しくそのままの形で残っており、屋上部分に陣取れば簡易な狙撃が行えそうであ る。 スラスターを使用して機体を上方向に持ち上げ、屋上に降り立った天空の支配者は、 片膝をつき、左手のライフル、ゲイルファングを構える。 『ゲイルファングは実弾とエネルギー弾の切り替えが出来るが、このような場合は、 射程が長く一撃の威力が高いエネルギー弾を使用した方がいい。距離が詰まれば、速 射性に優れる実弾か、サブウエポンのエアステークを使用したまえ』 「了解了解っと。王様もちゃんとサポートできるじゃない」 ICSの言葉に従い、ボタンを操作して使用する弾丸を変更したアイは、未だに眼 下で索敵を続けている黒い機体に狙いを定める。 スカイ・ルーラーの武装、ゲイルファングは狙撃に向いている銃とは言い難いが、 ここなら見通しが良く、目標との距離がさほど遠くないため、狙い撃つ事も十分に可 能である。 「気分は暗殺者、なんちゃって」 ロックオンを使用しない、マニュアルの射撃を行うべく、アイは精神を集中させ、 周囲の世界から自身を切り離していく。 生物学者という本業で培った集中力の高さを発揮するアイの、トリガーボタンにか かった指に、一切の震えは無い。 ――まだ 悠羽の索敵は自機の目線でしか行われていないため、こちらに気付く気配は無い。 ――もう少し 例え一瞬でも、あの黒い機体の動きが止まる時を待つ。 ――あとちょっと 初心者ゆえの不規則な動きが徐々にアイの手中に収まっていく。 そして、 「今!」 周囲の索敵を終え、次のポイントに向かうべく一瞬だけ葬牙の動きが止まった瞬間 を、見逃しはしなかった。 必中の願いを込めたアイの叫びと共に放たれた青い一条の光が、廃墟と化した街の 空気を切り裂く。 『一気に決めたまえ。王の闘争は、相手に絶対的な絶望と畏怖を抱かせる事にこそ、 その意義がある』 「私、王じゃないけど、チャンスは逃さないよ!」 その結果を見るよりも早く、素早く立ち上がり、右手の剣、ストームセイバーを構 える。 天空の支配者を象徴する、翼を模した柄に、長く伸びた両刃の刀身を持つ剣を手に したスカイ・ルーラーは、背中のスラスターの出力を一気に上げる。 間も無く、眼下の敵を断ち切る一陣の風になった青の機体が、黒の機体と激突する。 破壊し尽くされた偽りの街で始まった戦闘が、一気に加速していく。 それは、悠羽にとって、あまりにも唐突であった。 ゲーム開始から五分余り、未だに基本的な操作に四苦八苦している彼女を、右側か ら放たれた一条の青い光が襲う。 「きゃぁっ!」 青の光に射抜かれた右肩の装甲が砕け、黒の機体の姿勢が崩れる。 同時に、擬似的なダメージの表現として、悠羽の座るシートとディスプレイに表示 された映像が揺れる。 「び、びっくりしました」 『敵が来たぞ!』 思わぬダメージの演出に声をあげてしまったのが恥ずかしかったのか、わずかに頬 を赤らめた悠羽の声を塗り潰すように響くのは、ICS−Fの声と、 『見つけたよ悠羽ちゃん!』 ある一定の距離に近付く事で可能になる、敵機との直接通信を用いたアイの声。 そして、アイの声よりも速く迫る、空の青に染められた機体。 『ええい! この超天才が先手を取られるとは! まずはシールドで凌ぐのだ!』 「分かりました!」 操作に慣れていない悠羽であったが、ここで素早く正確な操作を行う事が出来たの は、ただの偶然か、彼女の集中力のなせる技か。 そのどちらにせよ、結果として葬牙の右肘に内蔵された発生機から生み出された白 い光の壁が支配者の剣を弾き、両者は街の通路で対峙する形となった。 『見事に防げたな。さすがは葬牙。さすがは私。しかし、気を付けるのだ。この葬牙 のシールドはエネルギー型。展開できる時間に制限がある上に、攻撃を受ける度にそ の時間はどんどん短くなっていく。その代わり、防御性能は実体型よりも優れている。 場所も重量も取らんし、私はエネルギー型の方が好きだぞ。何よりも、ハイテクな感 じが超天才に相応しいではないか! あ、しかし発生機自体を壊されるとシールドの 展開が出来なくなるので注意するんだぞ』 「え〜っと、アイさんとお話しするボタンは……」 『ICSだって無視されると悲しいんだぞ! 通信の切り替えは、両手の親指のボタ ンを同時押しだ。本来はチームでの戦闘を予定しているので、特定の味方機、味方全 体、特定の敵機、範囲内の敵機全機、といった具合に切り替えられるようになる、は ずなのだよ。さあ、通信モードを切り替えたなら、あの敵機、スカイルーラーに向かっ てこう叫ぶのだ!『ずっと前から好きでした!』とな! フハハハハ! 戦場に咲く 恋の花の行方、見届けようではないか!』 「そ、そんな事言いません! もう、変な事を言わないで下さいっ!」 ICS−Fの言葉に反論しながらも、その指示通りに通信モードを切り替える。 「えっと、テステス。マイクのテストです。アイさん、聞こえます?」 『……悠羽ちゃん、緊張感とか大事にしようよ』 直後、アイの呆れた声が、悠羽の操作が滞りなく行われた事の証明として筐体内に 反響する。 『まあいいや。とにかく、今日は手加減無しでいくから』 言葉に合わせて動く青の機体を見る悠羽は、気付いていない。 会話の最中に、スカイルーラーの左手に握られている銃が切り替わっている事に。 『悠羽ちゃんには負けないよ!』 言葉は、支配者が新たに手にした銃、エアステークから放たれた大量の弾丸と同時。 短い銃身から連続して吐き出される弾丸は、一発あたりの威力こそ低いものの、そ の速射性と弾数によって、牽制や面制圧において真価を発揮する。 葬牙は右腕のシールドを再展開し、殺到する弾丸の嵐を防ぎながら、近くのビルに 身を隠す。 が、 『隠れてもムダムダぁっ!』 昂ぶりを隠そうともしないアイの声と共に、葬牙が盾にしていたビルが半ばから横 一直線に断ち割られる。 高さを失ったビルから覗く青の支配者と、寸前の所で回避した黒の牙の視線が絡み 合う。 『今の私は王様だから、何でも出来る!』 『それなら私は、超天才です!』 右手の剣を外へ振り抜くより早く、左の銃を構えようとするスカイ・ルーラーだが、 それよりも速く、葬牙の巨大な左腕が動く。 『え!? 速すぎなんだけど!?』 『この葬牙が特殊格闘型と呼ばれている理由を魅せる時が来たぞ! 左腕の打撃が当 たったタイミングに合わせて、左手の人差し指のボタンを押すのだ!』 「いきます!」 小さい、しかし速く鋭い踏み込みを経て繰り出された黒の拳が、咄嗟に銃から切り 替わった盾に命中した瞬間、悠羽はICS−Fの指示を正確に遂行する。 その瞬間、葬牙の左腕が変化した。 変化は、街を染める夕陽よりも鮮やかで力強い色で染められた、揺らめく紅という 形で現れる。 その赤は、炎、または火焔という名を持つ。 肘に至るまでを紅蓮の炎で覆った葬牙の拳を受けた支配者の盾は、砕かれるよりも 早く灰となり、風に乗って空中へと消え去る。 本来なら、盾から炎が本体に燃え移り、ダメージを与える能力もあるのだが、アイ は瞬時の判断で、その寸前に盾を本体から切り離したため、スカイ・ルーラー本体に ダメージは届いていない。 『ちょっとマズいかも! 撤退!』 盾を失った支配者は、追撃をかけようとする敵機をエアステークで牽制し、後方へ と飛翔。 「あ、逃げられました……」 『さすがに速い。しかし、奴の盾を破壊する事には成功したぞ。さすがは超天才たる 私の機体。一撃の重みが違う』 「凄いですね。まさか、神炎掌が使えるなんて」 『むむ? これはそんな名前では無いぞ。今のは炎の打撃、『葬拳・爆』という、こ の葬牙の持つ六つの特殊打撃の内の一つ。間違っても、その『新年ショー』などとい う、めでたい名前ではない』 「し、神炎掌です! 私の左手は隠し芸なんて出来ません!」 思わず力が入り、危うく炎を生みだしそうになった左手を慌てて自制した悠羽は、 そこで一つの疑問を抱く。 「あれ? 今、『六つの特殊打撃』って言いました?」 『うむ。一つのものに囚われず、様々なものを生み出すのが、天才というものだから な。葬牙の左手首辺りを見るといい』 言葉通りに視線を向ければ、葬牙の左手首は、通常とは違い、リボルバー拳銃の弾 倉のような形になっているのが分かる。 『葬拳は通常の打撃でも十分な威力があるが、手首にある特殊弾を使う事で、先ほど のような攻撃が出来るようになるのだ。ただし、一撃ごとの使い切りでリロードも出 来ないので、使いどころには気を付けるのだぞ』 「と、言う事は」 『葬拳・爆はもう使えない、という事だ。特殊弾の切り替えは左手の操作で出来るの で、好きなものを選んでおくといい』 「そ、そうですか……」 告げられた事実に、悠羽はわずかな落胆の混ざった吐息を一つ。 「せっかくの神炎掌で盾しか壊せないなんて、少し残念です」 『だから、これはそんな愉快な名前ではないと言っているだろう!』 「ですから、新年ショーじゃありませんっ!』 繰り返しとなる会話の応酬に、意識して呼吸を深くする事で自制心を保つ悠羽は、 左手を数度開け閉めして感触を確かめる。 「では、今度はこちらから行きましょう。アイさんを驚かせますよ」 「いやあ、危なかったね」 『葬牙は接近戦では無類の強さを誇る機体だ。次に隙を見せた時に、身を守る盾が無 い事、くれぐれも忘れてくれるなよ。簒奪者というものは、王の隙を待っているもの だからな』 「そうだね。でも、最後に勝つのは私なんだから」 盾を失いながらも声に力強さを失わないアイは、エアステークの弾丸を補充する。 二種類の銃を瞬時に持ち替えたり、リロード出来る弾丸が無制限であったり、やっ ぱりゲームは便利だね、と呟くアイの視界に、葬牙の姿は無い。 「悠羽ちゃん、追ってこないね」 『油断はするな、と先ほど伝えたはずだが?』 わずかに緊張が緩んだアイの声に、ICS−Oの声が重なる。 『葬牙は格闘戦に特化した機体であるがゆえに、敵に気取られず近付くための能力が 非常に高い。敵の動きを掴むための高機能センサー。空を飛べぬ代わりに与えられた、 優れた走破性。影のように敵の背後に立つ事の出来る機体、それが葬牙だ』 瞬間、スカイ・ルーラーの背後のビルが盛大に砕け散る。 大小様々な破片となったビルの奥から見えるのは、死を告げる悪魔を思わせる、鋭 角で構成されたシルエットと赤い眼光。 『すまんな、前言を撤回する。葬牙は影のように背後を取るのではない。我らを葬る 牙として、背後から襲いかかってくるのだ』 「どっちでもいいよそんなの! てか、マジでやばいんだけど!」 完全に虚を突かれながらも、アイは咄嗟に機体を反転させ、葬牙と向き合う。 ビルを砕き、今まさにこちらを砕かんとする規格外の左腕に宿るのは、先ほどとは 違う、深い青の光。 先ほど盾を灰にした一撃とは色が異なるものの、その危険性に変わりは無いと判断 するアイだが、迎撃をするための時間も、防御をするための盾もない。 「こうなったら!」 進退窮まったアイの叫びは、しかし絶望の色など微塵も感じさせない。 迫る黒の牙を前に、青の支配者は右手の銃、エアステークを前へと放り投げる。 その狙いは葬牙本体では無く、 「これを殴ってくれれば!」 アイの願い通り、青く光る葬牙の左腕は、その軌道上に放たれたエアステークを捉 える事で、敵機本体へと届く事無く攻撃を終える。 本体の代わりに青の打撃を受けたエアステークは、その身を一瞬にして氷の塊へと 変化させた後、道路に落ちて砕け散る。 「とにかく回避!」 葬牙の奇襲を凌ぎ、すぐさま距離を取ろうとするアイの動きに対し、 『させません!』 それを否定する悠羽の言葉と、その言葉が示す通りの現象が起こる。 「……うそ!?」 信じられない事実に、アイの表情が固まる。 彼女の眼前に広がっていたのは、先ほどエアステークを凍らせる攻撃――葬拳・凍―― を終えたばかりの葬牙が、回避行動をしたこちらに追いついている、という事実。 葬牙の左腕は、その巨大さのため、攻撃の後に必ず隙が生まれるはずである。 しかし、眼前の事実は、それを真っ向から否定している。 何がどうなっているのか、と問う時間は無い。 「んきゃぅ!」 急変する事態にアイの思考が追いつくよりも速く、黒の拳が支配者の胸部を捉える。 巨大な腕で力任せに殴りつけただけの一撃を受けたスカイ・ルーラーは、その機体 を大きく吹き飛ばされるが、その途中で背のスラスターを用いて姿勢を制御。 「お返しだよ!」 着地と同時に実体弾モードのゲイルファングで行った反撃は、葬牙のシールドの前 に止められるが、それもアイの計算の内である。 シールドの展開に合わせ、ゲイルファングの弾をエネルギー弾に切り替えたアイは、 先ほど行った狙撃の要領で慎重に狙いを定める。 その狙いは、ただ一つ。 「お返しって言ったよ!」 狙いすました一撃は、アイの狙い通りの場所に命中する。 それは、葬牙の右肘に内蔵されたシールド発生機。 最初に放った実体弾を弾き、反撃に移るためにシールドを解除した、まさにそのタ イミングで、右肘のシールド発生機を撃ち抜いたのだ。 「これでお互いシールドがなくなったね。でも、あの時、なんで悠羽ちゃんが速く動 けたんだろ?」 『葬牙の特殊機能の内の一つだ。一度だけ、通常では有り得ぬタイミングで有り得ぬ 機動を可能にする。確か、葬拳・迅と言ったか。厄介な能力だが、二度目は無いので、 そこは安心して構わん』 「なるほど。さすがトンデモ系。色々あるんだね。ねえ、この機体には何か無いの? 特殊な武器とか、必殺技とかさ」 シールドを失った葬牙に対し、距離を取り、射撃で牽制していくアイの言葉に、I CS-Oは、ふむ、と漏らす。 『必殺技、と呼べるかは分からんが、この機体における最大威力の武器は、両肩につ いている砲、テンペストで間違いあるまい』 「あ、そういえば、肩についてるこれ、すっかり忘れてた」 会話の間にも、葬牙がビルの間を縫って接近し、時折近接戦闘を仕掛けてくるが、 距離を取っての戦闘に徹しているアイは、そこに無理に付き合おうとせず、剣で軽く 応戦するだけに留まる。 このゲームの完成型は、複数対複数のチーム戦なので、このような場合、葬牙を接 近させるために何らかのフォローが入るのが理想だが、一対一というこの状況下にお いて、スカイ・ルーラーが逃げに徹するのは、そう難しい事ではない。 『そろそろテンペストのエネルギーも溜まった頃合いだ。支配者の持つ最大の一撃、 見せてやるとしようか』 何度目になるか分からない葬牙の接近を凌ぐアイ。 『テンペストを使うならば、今まで以上に距離を取りたまえ。これは撃つまでにわず かな時間を要する』 「オッケー!」 言うが早いか、ゲイルファングの実体弾を出来る限り速射して葬牙の接近を防いだ スカイ・ルーラーは、己の推力を最大限に発揮し、全力で地を這うような低空を駆け 抜け、街の外の平原に辿り着く。 「これくらいでいいかな」 『ああ。では、始めるとしようか』 「それじゃ、ぶっ放してみよう!」 右手のボタンを操作し、テンペストの発射体勢に入るスカイ・ルーラーのふくらは ぎから、機体を地面に固定するための補助的な脚が伸びる。 次いで、スカイ・ルーラーの両肩に備えられた大型の砲、テンペストの砲口に青の 光が満ちていく。 戦闘開始から自動で充電されるエネルギーは既に発射可能な領域に達しているもの の、この砲を撃ち出すには、わずかな時間を必要とする。 それは、時間にして数秒にも満たない短いものであるが、近接戦闘の間合いにおい ては長過ぎる時間であり、葬牙の走破性を考えれば、中距離でも安心できない。 機体を固定している上に、発射の途中解除が出来ないため、側面や背後に回られて しまえばそれまで、という致命的な欠点を抱えているテンペストであるが、両肩から 生み出されるその破壊力は、その欠点を補うに余りある。 そして、天空の支配者が絶対の破壊を行うまでのわずかな時間に、それは来た。 夕陽を背に浴び、刃を重ね合わせたような黒の機体を、影で更に黒くしながら。 地を駆ける牙には天空からの支配など意味は無い、という意志を見せつけるように、 正面から堂々と、黒の牙が迫る。 だが、その疾走は、支配者の光を止めるには、あまりにも遅い。 『撃ちたまえ』 「いっけぇ!」 アイの咆哮を乗せて放たれた青の光が、巨大な双の柱となって街ごと消滅させる勢 いで、葬牙へと向かう。 それはまさに、天空の支配者が己に刃向かう者の悉くを罰するために放つ、裁きの 光であった。 視界を埋め尽くす青の光を前に、しかし悠羽の心に焦りは無い。 あくまで冷静な心境の中において、奥底で確かな闘志が渦巻いている彼女の精神は、 これまでのゲームに臨むものとは違う、実戦時に近いものとなっている。 敵が最大の攻撃を繰り出してくるという勝負の山場において、悠羽の集中力が、こ れまで以上に研ぎ澄まされてく。 まともに命中すれば機体の消滅は免れないであろう、圧倒的な破壊の光と正面から 対峙する葬牙の左手が、強く握り締められる。 『先ほども言ったが、タイミングが大事だぞ。私のような超天才的タイミングを逃せ ば、それでおしまいなのだからな』 「はい」 短く応える悠羽は、自分が動くべきタイミングと呼吸を合わせる。 ――落ち着いて狙えば 小さく息を吸い込む動きに合わせ、次の一撃を繰り出すため、葬牙の左腕が黒の光 に包まれる。 ――チャンスは一瞬です。 小さく息を吐き出す動きに合わせ、次の一撃を繰り出すため、葬牙の左腕が後ろに 引かれる。 ――この機体を、ICSを信じれば すっ、と小さな音を口から漏らし、悠羽は一瞬だけ呼吸を止める。 その動きに合わせ、葬牙は軽く膝を曲げ、全身の力を左腕に集める。 そして、機体が青の光に呑みこまれる、その刹那、 「これが!」 今まで溜めていた力を込めた、黒い光に覆われた拳が、正面からテンペストの光を 殴りつける。 「葬拳・絶です!」 光を殴るという、現実では有り得ない現象を当たり前のように実行した黒の拳は、 それを呑みこまんとする青の光と拮抗し、その侵攻を紙一重の所で食い止める。 スカイ・ルーラーにとって、テンペストが必殺と呼べる武装であるように、葬牙に もまた、葬拳・絶という名の必殺と呼べる武装が存在する。 葬拳に装備された六種の特殊弾の内、通常の状態で使えるのは、爆、凍、迅、雷、 鋼の五種。 戦闘開始から一定時間を経る事で使用可能になる六種目の特殊弾、絶の能力は、 『あらゆるものを圧倒的な破壊力で殴り飛ばす』という、非常にシンプルなものであ る。 格闘戦に特化した機体が到達した極地であるそれが示す「あらゆるもの」は、支配 者の放つ裁きの光さえも例外ではない。 テンペストと拮抗する機体にかかる負荷が、激しい振動となって筐体の中の悠羽に 伝わるが、彼女の心も動きも、一切乱れる事は無い。 彼女の中にあるのは、この光を殴り抜け、その奥にいる敵を倒す、ただそれだけで ある。 テンペストと拮抗する機体の各所にかかる負担が限界を超え、関節から白煙が上が ろうと、その意志は変わらない。 天空からの支配に抗う黒の拳に、無数の細かな亀裂が走る。 『お前の神炎掌、その程度か』 視界を埋め尽くす青に、拳一つで立ち向かう中で悠羽が思い起こすのは、葬牙と同 じ黒の機体を駆る、悪魔の肉体を手に入れた男にして、実の兄の言葉。 『この絶氷葬が生み出す静止した静死の世界の前に、そんな炎など何の意味も持たな い事を教えてやる』 あの時は肩から先を凍らされ、砕け散った左腕だが、 「負けません」 次第に弱くなっていく黒の光を前に、悠羽は静かに、だが力強く呟く。 「もう、負けません!」 呟きが叫びに変わった時、視界を埋め尽くしていた青の光が、一気に消失する。 葬牙の拳がテンペストを凌ぎ切ったのだと理解するよりも速く、悠羽は機体を前進 させ、倒すべき敵の所へと駆ける。 この戦闘の決着を着けるために。 「……で、残念ながら負けてしもうたワケやけど」 すっかり陽も落ち、半月を戴くようになった空の下を、赤い軽自動車が走る。 「テンペストを殴り飛ばしたのは良かったんやけど、あんなムチャしたら機体がガタ ガタになるのは当たり前やしな。まあ、テストの結果としては上々やし、うちとして は文句はあらへんけど」 運転席に座る早希は、慣れた仕草で創世島までの帰路を運転しつつ、赤信号のタイ ミングで、助手席に座る悠羽を見る。 「負けませんって言った五秒後に負けました……」 テンペストを凌いだ結果、機体の耐久力が限界寸前にまで落ち込み、あっさりと返 り討ちになった事を思い出した悠羽は、自分の顔を見せぬよう、開け放した窓に顔を 向けたままの言葉を外に漏らす。 「気分は、どよ〜ん、です……」 「何やそのベタな効果音みたいなヤツは」 「どよ〜ん、です」 「繰り返さんでええ」 「どよよ〜ん、です」 「微妙に変えてきよったな」 「ぱお〜ん、です」 「それは違うんとちゃうか」 「すぽ〜ん、です」 「段々と原形が無くなってきてるで」 「すっぽん、です」 「もう好きにしたらええわ」 「すっぽんぽん、です」 「それはアカン!」 他愛の無い会話に早希の口元は綻ぶが、外に顔を向ける悠羽の背中は、未だに活力 が感じられない。 「……ほんまに、しゃあない子やな」 未だに復活する気配の無い悠羽を見かねた早希は、再び赤信号で停車した際に、後 部座席から何枚かの紙を取り出す。 「ほら、これ見てみ」 「これ、は……?」 先ほど自分で述べた言葉通り、どよ〜ん、といった表情で振り向いた悠羽は、早希 から受け取った紙に目を通していく。 「どや? 元気出てきたか?」 「はい。少し元気になりました」 全ての紙に目を通した悠羽の顔に、弱々しいながらも、笑みがこぼれる。 「実現はまだ先やけど、これでもう負ける事はあらへんよ」 「そうですね。楽しみにしてます」 少しずつ笑顔が戻ってきた悠羽は、ありがとうございます、と言葉を添えて、紙を 早希に返す。 そこに書かれていたのは、聖炎凰を始めとする勇者達の強化プランである。 各世界の技術を集め、勇者達の機体や装備を強化するためのプランの中には、無論、 聖炎凰も含まれている。 テンペストに正面から対峙した時の悠羽の言葉を聞いていた早希には、なぜ彼女が 回避ではなく迎撃を選んだのかが理解できているのだ。 「……あのアホタレ、ウチらで止めてやらなアカンな」 「次こそは、必ず」 そう応え、左手を見る悠羽の顔は、普段と変わらぬ、活力に満ちたものであった。 「ようやく元気になったな。ほな、甘いモンでも食べて帰ろか」 「はい!」 一時間後、悠羽の食欲は、早希の財布から多くの紙幣を奪う事になるが、それはま た別の話である。